イエスは罪人の友である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ7:31 イエスは言われた、「ところで、この世代の人たちを、わたしは何に たとえようか? 彼らは何に似ているだろうか? (32節)彼らは、市場に座って 互いに呼び合い、『わたしたちはあなたがたに笛を吹いたのに、あなたがたは踊 らなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣かなかった』と言う小さな子供たちに似 ている。(33節)バプテスマのヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まないと、 あなたがたは、『彼は悪鬼にとりつかれている』と言う。(34節)人の子が来て、 食べたり飲んだりすると、『見よ、食いしん坊で大酒飲み、取税人や罪人の友』 と言う」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストとバプテスマのヨハネは、「笛を吹いて」王国の福音を宣べ伝えました。 しかし、パリサイ人たちと律法学者たちは救いの喜びに「踊らなかった」のです。 ヨハネと主イエスはまた、「弔いの歌を歌って」悔い改めを宣べ伝えました。し かし、これらの人たちは罪を悲しんで「泣かなかった」のです。神の義は、彼ら に悔い改めを要求しました。しかし、彼らは従おうとしませんでした。神の恵み は彼らに救いを与えました。しかし、彼らはそれを受け入れようとしませんでし た。 33節で主は続けて言います、「バプテスマのヨハネが来て、パンも食べずぶどう 酒も飲まないと、あなたがたは、『彼は悪鬼にとりつかれている』と言う」。人 々に悔い改めをもたらし、彼らに罪を悲しませるために来たバプテスマのヨハネ は、食べることや飲むことを楽しみませんでした(1:15-17)。バプテスマのヨハ ネは、通常の方法で食べ飲みしないで、一風変わった特別な方法で生活していた ので、反対者たちは彼には悪鬼がついていると非難しました。 34節で主は言われます、「人の子が来て、食べたり飲んだりすると、『見よ、食 いしん坊で大酒飲み、取税人や罪人の友』と言う」。キリストは救い主であるだ けでなく、罪人たちの友、すなわち、彼らの諸問題に同情し、彼らの悲しみを感 じた方でもありました。彼は罪人たちに救いをもたらし、その中で彼らを喜ばす ために来られたのです。ですから、彼は彼らと共に食べたり飲んだりする喜びを 持たれました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。