改善するのではなく、生かす ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ11:6 イエスは、ラザロが病気だと聞いてからも、なおその所に二日とど まられた。(39節)イエスは言われた、「その石を取りのけなさい」。死んだ者の 姉妹マルタが彼に言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていま すから」。(25節)イエスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である。 わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― なぜ主は、ラザロの病の知らせを受けてすぐに行くことをせず、二日間待たれた のでしょうか? 厳密に言って、主が二日間待たれたのは、彼が単に人々をいや そうとしたからではなく、わたしたちを生かしたかったからです。主は決してわ たしたちの理解にしたがっていやされません。彼は、生かすことによっていやさ れます。古い観念によれば、いやすとは、あなたを改良し、改善することを意味 します。しかし、主は決してあなたを改善したり、あなたのふるまいを規正した りするために来られるのではありません。主は常にあなたを生かしに来られます。 主の唯一の意図は、ご自身を生かす命としてあなたに分け与えることです。 例えば、あなたが悪い気質を持った人であるとします。あなたが自分の気質のい やしを祈れば祈るほど、ますますあなたの気質は悪くなるでしょう。主は決して あなたをいやしに来ることはなく、彼は待って、待って、あなたが死ぬまで待た れるのです。彼は、いやしを求めるあなたの祈りに答えず、あなたの病が死へと 至るまで待たれるでしょう。あなたが、自分は死んで葬られており、悪臭を放っ てさえいるという事実に目覚める時、主はその時、来てあなたを生かされるでし ょう。 人の振る舞いを改善し、改良し、規正するとは、何を意味するのでしょうか?  それは、元来の人を元来の自己によって改善することを意味します。しかし、キ リストはご自身をもってわたしたちを再生し、造り変えるために来られます。主 は元来の人をいやそうとはされません。主は、元来の人が死ぬのを待たれます。 ですから、あなたが死の水で満ち、死の悪臭を放つ時、主は来てあなたを再創造 し、その死からあなたを復活させ、復活の中で命であるご自身の中へともたらす でしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(一)」(1996 年版)メッセージ第24編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。