わたしたちのかしらであるキリストに服従する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ1:22 また神は、万物をキリストの足の下に服従させ、そして彼を万物の 上にかしらとして召会に与えられました。(23節)この召会は、キリストのからだ であり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストのからだには多くの肢体があり、この多くの肢体は一つになっています。 そしておのおのに役割があります。神はすべての肢体に同じ機能を求められませ んでした。肢体はそれぞれ異なっています。「一つの体の中には多くの肢体があ り、そしてすべての肢体が同じ機能を持っていないように」(ローマ12:4)。それ では、この機能の異なる多くの肢体は、どのようにすればうまく結合され、組み 合わせに調和が取れて、一つのからだのようになれるのでしょうか? それには 三つの基本的な原則があります。そしてそれは、キリストのからだが調和して機 能するために欠くことのできない原則です。第一の原則は、かしらと肢体との関 係であり、第二の原則は、からだと肢体との関係であり、第三の原則は、肢体の 責任に関するものです。この三つは、一つも欠けてはならないものです。 キリストのからだの中に生きる第一の原則は、かしらの権威の下に服することで す。からだの存在、からだの機能、からだの活動はみな、権威にかかっています。 権威がわたしたちの上でその地位を失う時、からだは麻ひしてしまいます。服従 しない部分があれば、その部分は麻ひしているのです。麻ひしている体は、頭の 支配に服従することができません。命のあるところには、権威があります。もし わたしたちが命を持ちたいのであれば、権威を拒むことはできません。すべて命 に満ちている人は、必ず権威に服従しています。わたしの手に命がある限り、頭 の支配を拒むことは不可能です。生きているとは、わたしたちがかしらによって 指示を受けているということです。ですから、すべての肢体がキリストのからだ の中で生きるという第一の原則は、かしらに服従することです。あなたが対処さ れて一人の服従する人とならなければ、あなたの知っているからだとは、一つの 教理であるにすぎず、命のものではありません。神は必ずあなたの肉の命を対処 しなければなりません。それによってわたしたちは、かしらに服従することが一 つの祝福であることを見るでしょう。わたしたちは服従することを追い求めるべ きです。わたしたちは多くの時、成長できる機会を尋ね求め、聖くなる機会を尋 ね求め、義とされる機会を尋ね求めていますが、それと同じように、神の御前で 服従する機会をも尋ね求めるべきです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。