意見は現在の復活の命を妨げる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ11:23 イエスは彼女に言われた、「あなたの兄弟は必ず復活する」。 (24節)マルタは彼に言った、「終わりの日の復活の時に、彼が復活することは知 っております」。(25節)イエスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命で ある。わたしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる。(26節)また、生きて いてわたしの中へと信じる者はすべて、決して永遠に死ぬことはない。あなたは これを信じるか?」 (27節)彼女は彼に言った、「はい、主よ。あなたが世に来 られるキリスト、神の子であると信じております」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 23節から24節で、マルタは主のこの言葉を、現在の復活を終わりの日に延期して 解釈したかのようでした。神聖な言葉の何という解釈でしょう! 人々が主の現 在の復活の命を享受することを妨げる根本主義の教えの何という荒れすさんだ知 識でしょう! 25節から26節で主は彼女に次のように言っておられるかのようで した、「それは時間の事柄ではありません。わたしには時間の問題はありません。 何ものも遅すぎることはないし、何ものも早すぎることはありません。わたしが ここにいる限り、すべては良いのです。なぜなら、わたしはあなたの兄弟を復活 させるからです」。それから主はマルタに、「あなたはこれを信じるか?」と尋 ねられました。彼女の答えたこと(27節)は、全く主が尋ねられたことではありま せんでした。彼女は主が言っておられたことについてはっきりしていませんでし た。彼女の古い占有している知識が、主の新しい言葉を理解するのを妨げたので す。 マルタは、非常に多くの知識や教理を持っている今日のクリスチャンのようです。 彼女は、主がキリストであり、神の御子であるというある種の教理を信じました。 彼女は、主が終わりの日に死んだ聖徒たちをすべて復活させるという教理を信じ ていました。彼女はすべての知識を持っていましたが、それは主が教えられた生 きた知識ではありませんでした。彼女のさまざまな意見はすべて、彼女があらゆ る知識を持っていたという事実によりました。今日、多くのクリスチャンが意見 を持っているのは、彼らがあまりにも多くの教えを持っているからです。だれか が内なる命について彼らと話す時、彼らは直ちに自分の意見を語り始めます。あ まりにも多くの知識とあまりにも多くの教理が、際限のない意見を生み出します。 それは、復活の命としての現在のキリストを彼らが享受することを妨げるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(一)」(1996 年版)メッセージ第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。