カレブは神によって守られた ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨシュア14:10 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時か らこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、 私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳にな ります。 14:11 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力 は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。(新改 訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここでカレブのことが記されています。「出入りにも」とは、平素の生活のこと であり、「戦争にも」とは、特別な生活です。平素の生活であれ、特別な生活で あれ、カレブは当初、モーセと語り合ったあの日のように健やかでした。四十年 もの長い年月がたちましたが、今日依然としてあの日のようです。ここで聖書は わたしたちに、神の守ってくださる力を見せています。あの時、彼が強かったの と同じように、今日もやはり彼は強いのです。彼は八十五歳になっても、四十歳 の最も強い時と同じように強くて、力は少しも衰えていません。これはほかでも なく、神が彼を守ってくださったからです。もしわたしたちが自分に頼って、神 の御前で得た恵みを守ろうとするのでしたら、わたしたちには守る方法がありま せん。救われて五年後であっても、初めと同じように信仰の度量を保っていると だれが保証できるでしょうか? わたしたちは自分の努力で神の恵みの中にとど まることはできません。彼だけがわたしたちをご自身の恵みの中に保つことがで きるのです。 カレブが神に守られたことを経験したことについて、そこに何か条件があったの でしょうか? わたしたちはそれを見てみましょう。ヨシュア記第14章14節は言 います、「それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである」。カレブ はどのように主に従い通したのでしょうか? わたしたちは民数記第13章から第 14章を見ます。第13章30節では、「そのとき、カレブがモーセの前で、民を静め て言った。『私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれが できるから』」。ああ、わたしたちは必ず勝つことができます。主に完全に従う 人とは、神の約束は信頼するに足ると信じている人です。主に完全に従う人とは、 神がわたしたちと共におられるので、わたしたちは必ず勝つことができると信じ ている人です。兄弟姉妹よ、あなたはそのように信じますか? 多くの人は、信 じることは信じるのですが、びくびくしながら信じるのです。彼の度胸はとても 小さくて、大胆でないのです。彼らは詩歌を歌います。しかし、言葉は正しくて も、音色の調子が正しくないのです。カレブはどうでしょうか? 言葉が正しい だけでなく、音色の調子も正しいのです。彼は言いました、「私たちはぜひとも、 上って行って、そこを占領しよう」。主に完全に従い、信頼する人とは、神のみ こころを行なう人であり、しかも直ちに行なう人のことです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。