復活は命にまさる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしは復活であり、命である。わ たしの中へと信じる者は、たとえ死んでも生きる。(43節)彼はこれらの事を言っ て、大声で呼ばれた、「ラザロよ、出て来なさい!」(44節)すると、死んでいた 者は出て来たが、手足は布で包まれ、顔は布切れで包まれていた。イエスは彼ら に言われた、「彼をほどいてやって、行かせなさい」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 復活は命にまさります。命はそれ自身によって存在を持つことができるだけです が、復活はいかなる種類の攻撃にも、死の攻撃にさえ立ち向かうことができます。 主は命であるだけでなく、復活でもあります。死は彼をつかまえておくことはで きません。なぜなら、彼は死を征服することができるからです。死は彼を引きと めておくことはできません。なぜなら、彼は命であるだけでなく、復活でもある からです。命は存在する力ですが、復活は命に敵対するあらゆるものを征服する 力です。死が人の上に臨むと、人はそれを逃れることができません。原子力でさ え死に打ち勝つことはできません。復活としての主ご自身だけが、死を打ち破る ことができます。彼は死んだ人すべてを死から救い出すことができます。なぜな ら、彼は命であるだけでなく、復活でもあるからです。彼は復活ですから、死の 力を破壊することができます。ハデスでさえ、わたしたちの主を墓に閉じ込めて おくことができません。 わたしたちは、この復活の命をどのように日ごとに適用すべきかを学ばなければ なりません。わたしたちは命としての主によって生きるだけでなく、復活として の主によって征服しなければなりません。多くの時、わたしたちの環境は死のよ うにわたしたちに影響を与えます。しかし、主を賛美します。死の感触のあるす べての事柄は、一つのテストです。なぜなら、これらの事柄は、主が復活である かどうかを証明するからです。何ものもわたしたちを閉じ込めておくことはでき ません。なぜなら、わたしたちは復活の命としての主を持っているからです。わ たしたちが負っている圧迫や困難にもかかわらず、わたしたちがそれに立ち向か うことができるのは、復活の命を持っているからです。こういうわけで、使徒パ ウロは、「キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形 化されて」と言ったのです(ピリピ3:10)。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(一)」(1996 年版)メッセージ第24編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。