キリストはわたしたちの避け所また泉である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 詩篇36:7 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の 陰に身を避けます。(8節)彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。 あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。(9節)いのちの泉 はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。 87:7 踊りながら歌う者は、「私の泉はことごとく、あなたにある。」と言おう。(新改訳)   ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人が温帯地方に住んでいると、熱と太陽に打たれることをあまり感じません。熱 帯地方に行けば、熱と太陽に打たれることがどんなにひどいかがわかります。あ る兄弟が言うには、熱帯地方で外出する時に傘を忘れると、数か月もの病気にか かるそうです。しかしながら、家の中にいれば、太陽に打たれることはありませ ん。なぜなら、覆い隠す物があるからです。覆い隠す物がなければ、熱に打たれ るでしょう。聖書は神の覆う陰を、一種の避け所と述べています。ある種の命は、 神の覆う陰の下にある命であり、それは神の中に隠されている命です(詩36:7-9)。 あなたは自分が覆い隠されていることを見たでしょうか? 霊的戦いにおいて、 わたしたちには救いのかぶとがあります(エペソ6:17)。わたしたちの命は、隠さ れている命です。わたしたちはこの世で、ちょうどひながめんどりの翼の下にい るように、神の翼の下に隠されているのです。わたしたちは詩篇第91篇で、「い と高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」(1節)ことを見いだします。 主は彼らを多くの災難から救ってくださいます。わたしたちには祝福された生活 があります。わたしたちは覆い隠されている民です。 「泉」は神と共にあり(詩87:7)、命の水の川は、神と小羊との御座から流れ出ま す(啓22:1)。言い換えれば、わたしたちは神ととても親しく、神の傍らにいる のです。神はわたしたちをご自身の御前へと導いてくださり、小羊がわたしたち を牧してくださいます。さらに言葉を換えて言えば、牧してくださるのは小羊で す。神の御子イエス・キリストが、神の子羊としてのご自身の経験をもって、小 羊たちを養われるのです。わたしたちは、自分を改善することは決してできませ ん。わたしたちは永遠に一人の牧者によって養われます。これは何と安息に満ち た享受でしょう。これもやはり、今日わたしたちが享受することのできるもので す。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。