知識は啓示と異なる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ24:15 彼らが語り合い、論じ合っていると、イエスご自身が近づいて、彼 らと一緒に行かれた。(16節)しかし、彼らの目は遮られていて、イエスを認める ことができなかった。(17節)イエスは彼らに言われた、「あなたがたが歩きなが ら、互いに語り合っているその話は、何の事なのか?」。すると、彼らは悲しげ な面持ちで、立ち止まった。(18節)その一人のクレオパという者が、彼に答えて 言った、「エルサレムに滞在しているのに、この数日そこで起こった事を、あな ただけがご存知ないのですか?」。(25節)そこで、イエスは彼らに言われた、 「ああ、愚かで心が鈍く、預言者たちが言ったすべての言葉を信じられない者た ちよ! (26節)キリストはこれらの苦しみを受けて、彼の栄光に入るべきではな かったのか?」。(27節)そして、モーセとすべての預言者たちから始めて、聖書 全体にわたり、ご自身についての事柄を説き明かされた。(28節)やがて彼らは目 指す村に近づいたが、イエスはさらに先に行かれる様子であった。(29節)そこで、 彼らはイエスを無理に引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まりくださ い。夕方になり、日もすでに傾いています」。そこでイエスは、彼らと一緒に泊 まるために、入って行かれた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 主の復活の後、二人の弟子たちはエマオへ向かっていました。途中で彼らは、起 こったすべての事について、互いに話し合っていました。その内容は、マリヤが 報告した主イエスについてのものです。その時、主イエスご自身が彼らに近づか れました。しかし、彼らの目は、主を認識することができませんでした。弟子た ちは、復活の主がわかりませんでした。彼らは、肉体にあるイエスは知っていま したが、復活された主を知りませんでした。復活は彼らにとって奥義的なことで あり、彼らはそれを信じることができませんでした。 主は彼らと語り合い、彼らを教え、モーセとすべての預言者たちから始めて、聖 書全体にわたり、ご自身についての事柄を説き明かされました。それでも彼らは 依然として主がわかりませんでした。彼らは聖書の教えを理解することができ、 感動を受け、心が内側で燃えるまでになりましたが、依然として主イエスがわか らなかったのです。このことからわたしたちは、教理と啓示は二つの異なるもの であることがわかります。彼らは聖書を理解しましたが、主を知りませんでした。 彼らはキリストについての教えは知っていましたが、キリストを知りませんでし た。 (次回に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第1編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。