結婚は神によって定められた(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創1:27 神はこのように、人をご自分のかたちに創造された。神のかたちに彼を 創造し、男と女に彼らを創造された。 創2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。 わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」(新改訳)。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 結婚は神によって定められたものです。創世記の中で神は「人が、ひとりでいる のは良くない」と語られました。神は創造のみわざを成された時、すべての造ら れたものを見て、よしとされました。しかし、六日目に神は、良いとは言われま せんでした。実は、神は人を造られた後、何かが良くないとさえ言われたのです。 神は、「人が、ひとりでいるのは良くない」と言われました(創2:18)。それは、 人の創造がうまくいかなかったということではありません。人が一人しかおらず、 すなわち、人の半分だけが造られたのが良くないという意味です。 神がアダムのために一人の配偶者を造られたのは、六日目でした。神はエバを造 り、アダムの所に連れて来られました。ですから、エバが生み出されたのは結婚 のためでした。「配偶者」という言葉は、「妻として添わせ、助ける」ことを意 味します。この言葉は、ヘブル語では「彼に似合った者、彼の助けとなる者」と いう意味です。 聖書を読む多くの人は、創世記第2章18節を考えて、神が人を創造された時、男 に加えて女を創造されたのだと思います。しかし聖書は、神は人を造られたと言 っているだけです。ですから、神が人を造られたというのは、男と女を造ること であり、男と女がいてはじめて完全な人となるのです。それはちょうど、神は初 めに半分の人を造り、後で人が半分であるのを見て、さらにもう半分を創造され たかのようです。半分を二つ合わせて、はじめて一つになります。半分を二つ合 わせて、はじめて完全な人になります。こういうわけで、エバが造られてはじめ て神はよしと言われたのです。これはわたしたちに、結婚が人によって始められ たものでなく、神によって始められたものであることを見せています。結婚の始 まりは、人が罪を犯した後ではなく、人が罪を犯すはるか前です。人は造られた 最初の日に罪を犯したのではなく、造られた最初の日に結婚したのです。神はエ バを造られたその日に、エバをアダムに与えられたのです。これは、人が罪を犯 した後のことではありません。結婚は神によって始められたものです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第30編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。