神の祝福を求めて死に物狂いになる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:53 彼は、飢えている者を良いもので満たし、富んでいる者をむなしく帰 されました。 詩42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕 いあえぎます。(2節)私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。 (新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 多くの信者は、勝利を得ることの教理を知っています。彼らは、勝利を得ること についてメッセージをすることさえできます。彼らは勝利の命に関する教理を、 最初の点から最後の点まで提示することができ、また明確に分析することもでき ます。しかしながら、彼らは依然として勝利を得ていません。勝利の命の教理は 容易です。聡明で記憶力の良い人は、それを容易に理解し、記憶することができ ます。しかし、彼らはさまざまな環境に直面すると、全く勝利を得ることができ ないことに気づきます。勝利を得ることについてのメッセージを聞くだけで、人 は勝利を得るのではありません。ただ一種類の人だけが勝利を得るのです。すな わち、勝利を経験することに飢えている人です。神は飢えている人に対して、勝 利の経験を賜ります。もし人が飢えていなければ、勝利を得る命を持つことはで きません。今日わたしたちは、神に対して飢えている心を持つ必要があります。 なぜなら、神が用いて祝福する人はみな、死に物狂いになっている人であるから です。 旧約の創世記第32章には、ヤコブが御使いたちと格闘した記載があります。彼は もものつがいをはずされても、御使いに語って言いました、「私はあなたを去ら せません。私を祝福してくださらなければ」。ヤコブには良いところがありませ んでしたが、彼の性質は、神の祝福の条件と一致しました。彼は死に物狂いにな って求めました。もし神が彼を祝福しなければ、彼は神を去らせなかったことで しょう。結果として、神は彼を祝福しなければなりませんでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第41巻「特別集会、メッセージ、談話の記録(一)」 (1998年版)メッセージ第10編から引用されています。いずれも日本福音書房から 出版されています。