神のみこころは聖書を通して啓示される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2テモテ3:16 聖書はすべて、神の息吹かれたものであり、人を教え、戒め、矯 正し、義の中で訓練するのに益があります。 詩119:105 あなたのみことばはわたしの足のともし火、わたしの道の光です。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神のみこころは、環境を通して啓示され、またわたしたちの内側に住んでおられ る神の聖霊を通して知らされるだけでなく、聖書を通してもわたしたちに啓示さ れます。神のみこころは永遠に変わりません。過去、人々は多くの事に遭遇しま したが、神はその中でご自身のみこころを明らかにしておられ、その事はみな聖 書に記載されています。ですから、神のみこころについては、すでに多くの原則、 模範が聖書に記されています。神のみこころを知りたければ、注意深く聖書を学 ばなければなりません。神のみこころはすでに一つ一つ聖書の中で明らかになっ ているのですから、かつて神の言葉の中でどのように定められていたかを見るだ けで、今日、神のみこころがどうであるかがわかります。神のみこころは決して、 ある時はこうで、またある時は別であるということはあり得ません。キリストに あっては、ただ「しかり」があるだけです(2コリント1:19)。わたしたちに対す る神のみこころが聖書の教えと反することは決してありません。神が聖書の中で 間違いであるとしているのに、今日、聖霊がわたしたちを導いてそれをさせるよ うなことは決してありません。 ある信者は、占いの方法で神のみこころを求めます。彼らは聖書を目の前に置い て祈ります、「神よ、どうかわたしの指を使ってあなたのみこころをあらわす聖 書の節を指してください」。祈り終えると、目を閉じたまま聖書を開き、ある所 を指で指し、それから目を開けて見て、その個所の言っている言葉を神のみここ ろとします。ある一部の幼稚な信者は、このような方法を使って神のみこころを 求めます。彼らはとても真剣なので、神は時として彼らの無知のゆえに便宜を図 って、指示を与えられるかもしれません。しかし、これは決して正当な方法では ありませんし、多くの人にとっては役に立ちませんし、ほとんどの場合に役に立 ちません。このようにすることは危険であり、しかも間違える可能性がとても高 いのです。兄弟姉妹よ、どうか覚えておいてください。わたしたちはすでに神聖 な命を持った人です。すでに神の霊はわたしたちの内側に住んでいるのですから、 聖霊を通して神がご自身の言葉を示してくださるように求めるべきです。ですか ら、平常からよくよく聖書を学び、御言葉を覚えるべきです。必要な時には、わ たしたちの読んだ御言葉を通して、聖霊がわたしたちに語り、わたしたちを導い てくださるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第27編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。