神は試みられ、裁かれるのか? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ3:4 ……神を真実とし、あらゆる人を偽り者としなさい。「それは、あ なたがあなたの言において義と言い表され、あなたが人に裁かれるとき勝利を得 られるためである」と書かれているとおりです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 仮に、一人の犯人が捕まり裁判所に送られたとします。裁判官は、犯人の母親が 年老いて自分で身の周りの世話ができなくなったとか、犯人には家に三歳の子供 がいるなどの理由で、犯人を釈放することはできません。もし裁判官がそのよう なことをすれば、彼は心が優しいといって称賛されるかもしれませんが、公正で はありません。この裁判官は、公正でない方法で「善を行なっています」。これ は間違っています。神は義しい方法で善を行ないたいのです。わたしたちは、罪 を赦してくださる神が必要です。しかし、神は不義な方法ではいかなることもで きません。一方ではわたしたちが恩恵を受け、他方では神の義を神が維持できる ような方法を、神は考え出さなければなりません。わたしたちの神は、不義な事 は何も行なうことができません。神は人の救いにおいてでさえ、不義であること はできません。 神は人を最も義なる方法で救うことを望みます。神は、人が批判したり何か言っ たりすることのできない方法で人を救うことを望みます。それだけではありませ ん。神は人を救う時、ご自分が義であることを人に示したいだけでなく、悪魔の 口を封じることをも欲します。神は、悪魔がそれは間違っているとか不義である と考えるような方法で人を救うことはできません。神は、人も悪魔も口出しでき ないような方法でわたしたちを救わなければなりません。聖書はわたしたちに、 救われた者も救われていない者も口をふさぎ、悪魔も口出しすることがなく、神 ご自身でさえ口をはさむことのない、そのようなに程度にまで、神は人を救われ ると告げています。これが救いの意味です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1998年版)メッセージ第 1編「神の義」から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されてい ます。