わたしたちの命なるキリスト(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:4 わたしたちの命なるキリストが現される時、あなたがたも、彼と 共に栄光のうちに現されます。 ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬこと は益であるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 初信者の兄弟姉妹は切に祈って、神が光を与えてくださり、キリストが人の中で 生きられることと、人は自分で生きる必要がないこととを見せてくださるよう求 めることを、わたしは望みます。もしわたしたちがこれを見なければ、証しを維 持したり、クリスチャンの生活を維持したり、試みを拒絶したり、十字架を負っ たり、神のみこころに従うことは、大変な重荷であると感じるでしょう。短気を 起こすと、罪定めを感じます。それでも、忍耐できません。人を憎むと、申し訳 ないと感じます。それでも愛する力はありません。多くの人は、クリスチャンに なって疲れてしまっています。彼らは、クリスチャンとは重荷を背負って山登り するようなものだと感じます。彼らが頂上に到達することは不可能です。 このような状況は、彼らが間違った方法でクリスチャン生活を送っていることを 明らかに示しています。パウロは次のように言いました、「生きているのはもは やわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです」。こ れがクリスチャン生活の秘訣です。主があなたの中でクリスチャンになってくだ さるのであって、あなたが自分自身でクリスチャンになるのではありません。も しあなたが自分自身でクリスチャンになるのであれば、忍耐は苦痛であり、愛も 苦痛ですし、十字架を負うことも苦痛です。もしキリストがあなたの中で生きて くださるのなら、忍耐は喜びであり、愛も喜びです。へりくだりも喜びですし、 十字架を負うことも喜びです。 兄弟姉妹よ、クリスチャンであることにとても疲れを覚え、どうしようもなく、 他の事に手がつかないような時に、今後は自分自身が生きる必要がないことを見 たなら、これは大いなる福音であると感じるでしょう。このように疲れる生活を 免れるのであれば、これはどのクリスチャンにとっても大いなる福音です! あ なたはクリスチャン生活のために、そんなに力む必要はありません。重荷を背負 う必要はありません! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。