キリストを食べ飲む ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 啓22:1 また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。それは 神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。(2節)その川のこちら側にも 向こう側にも命の木があって……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは毎日食べ飲みしなければなりません。これは、わたしたちの霊の命 についても同じです。聖書には命の川と命の木があります。命の川はわたしたち が飲むためであり、命の木はわたしたちが食べるためです。命の川は、命の霊と してのキリストを示す絵であり、命の木は、人の食物として命の供給となるキリ ストを示す絵です。神はわたしたちに、(ひれ伏したり、儀式を執り行うような) 宗教的な方法でご自身を礼拝してほしいのではありません。神の意図は、わたし たちがキリストを食物また飲み物として取り入れることです。神を食物また飲み 物として享受することによって、霊であり命であるキリストはわたしたちの中に 入られるのです。 神聖な命が入ってくると、わたしたちは再生され、神の命を持ち、神の子たちと なります。クリスチャンになることは、宗教的な義務を果たしたり、わたしたち の振る舞いを改善したりすることではありません。もしあなたが猿であるのなら、 自分を改善することによって人になることはできません。人になる唯一の方法は、 人の両親から命をもらい生まれることです。同じように、わたしたちが神の子た ちとなるのも、何かを行なうことによってではなく、神の命をわたしたちの中に 受け入れることによってです。 毎日キリストを食べ飲みするなら、わたしたちは神聖な命において成長します。 こうしてわたしたちは神で満たされた民となり、ついには日常生活で神を表現す るでしょう。これがクリスチャン生活の意義です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 「キリストは霊であり命である」(1992年版)から引用されています。いずれも日 本福音書房から出版されています。