キリストは命を与える ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ3:7 わたしがあなたに、『あなたがたは新しく生まれなければならない』 と言ったことを、不思議に思ってはならない。 5:8-9 起きなさい。あなたの床を取り上げて歩きなさい。すると、たちまちそ の人は良くなり……。 6:35 わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ヨハネの福音書の中には、キリストが命を与えることにおける幾つかの例えがあ ります。第3章に、ニコデモという名の宗教的な人がいます。主は彼に、間違っ ているのは外側の悪い振る舞いではなく、彼の持っている悪い命であることを示 されました。彼に必要なのは、もう一つの命、すなわち神聖な命でした。この宗 教的な人は、かつて人の命から生まれたのですが、今やもう一つの命から再び生 まれる必要がありました。神聖な命は、わたしたち自身の命を改めるのではなく、 もう一つの命をもってわたしたちを再生するのです。 第5章では、無力な人がエルサレムの池のそばで横たわっていました。彼の周りに は聖なる都、聖なる祭り、聖なる宮、聖なる安息日、奇跡の水がありました。し かし、最高の宗教のこれらすべてのいわゆる聖なるものがあるにもかかわらず、 彼は三十八年間そこに横たわっていたのです。彼にはいやされるために必要とさ れる力がありませんでした。イエスが彼を見て、命の言葉を語られると、その人 はいやされました。これは、人を生かし、宗教がなし得ないことを人に行なわせ ることができる神聖な命を示す絵です。 第6章でユダヤ人たちは、先祖たちが荒野で食べたマナについて誇っていました。 しかしキリストは、ご自身が真のマナ、命のパンであり、そして彼を食べる者は 決して飢えないと言われました。地上の物質のパンを食べる者は、たとえそのパ ンが神から送られた奇跡であったとしても、必ずまた飢えます。天のパンである 主イエス・キリストだけが、人を満足させ、人を再び飢えさせることがありませ ん。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 「キリストは霊であり命である」(1992年版)から引用されています。いずれも日 本福音書房から出版されています。