その霊は「天的電気」である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ15:13 今や望みの神が、信じることによるすべての喜びと平安で、あな たがたを満たしてくださいますように。それはあなたがたが、聖霊の力の中で望 みにあふれるためです。 ガラテヤ5:22 しかし、その霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、 信実、……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― その霊はまた電気で例えられます。冷蔵庫、電話、その他の多くの電気製品を動 かすには、電気が必要です。電気はとても便利ですが、電気の源はわたしたちか ら遠く離れた発電所にあります。神は、川の上流にある大きな発電所のようなも のです。そのような大きな力をわたしたちが適用するためには、わたしたちに電 気の流れを伝達する電線が必要です。人性を伴って人として受肉されたキリスト は、電線のようです。彼はわたしたちの所に父なる神からやってきて、人の状況 の中に神をもたらしました。 命を与える霊としての復活したキリストは、発電所からわたしたちの家に強い電 力を運ぶ電気の流れのようなものです。電流は、力、音、光、熱、わたしたちの 家々での多くの役立つものとなります。同じように、天的電気の流れとしてのそ の霊は、神であるすべてをわたしたちに適用します。その霊を通してわたしたち は、愛、光、真理、喜び、力、神のすべての特質を持ちます。もしわたしたちの 中にその霊がなければ、わたしたちの生活は暗やみ、弱さ、圧迫に満ちているこ とでしょう。しかし、その霊は三一の神をわたしたちに適用し、わたしたちの人 生を意義深く、満ち満ちたものにします。 人に必要なものは、大聖堂でも宗教的な儀式でもありません。これらのどれも、 人に内なる力を与えません。人に必要なものはその霊です。なぜなら、その霊は 人に神ご自身を適用するからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「キリストは霊であり命である」(1992年版)から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。