その霊は空気のように至る所におられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ20:22 彼はこう言って、彼らの中に息を吹き込んで言われた、「聖霊を受けよ」。 マタイ28:20 ……見よ、わたしはこの時代の満了まで、日々あなたがたと共にいる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― あなたの周りにある空気を考えてみてください。空気は至る所にあり、だれでも 吸い込むことができます。東洋にいようが、西洋にいようが、戸を閉じた部屋に いようが、市場にいようが、空気は常にあなたと共にあります。聖書は、その霊 を空気にたとえています。事実、「その霊」はギリシャ語で「pneuma(プニュー マ)」であって、それは「息」とも「風」とも翻訳することができます。主は復 活された日の夕方、弟子たちの所に来て、彼らに不思議な事を行なわれました。 彼は彼らの中に息を吹きかけて、「聖霊を受けよ」と言われました。彼が弟子た ちの中に息吹かれた神聖な息は、命を与える霊として復活された彼ご自身にほか なりませんでした。 キリストが地上で生活しておられた時、彼は弟子たちにとってそれほど便利な方 ではありませんでした。彼はガリラヤにいれば、同時にエルサレムにいることは できませんでした。彼は時間と空間に制限されていました。彼はいつもすべての 人々と共にいることはできませんでした。しかし、復活された後、キリストは霊 と成りました。その霊として、彼は今や弟子たちといつも共にいることができま す。そういうわけで、復活の後、彼は「この時代の満了まで、日々」、弟子たち と共にいると言うことができました。今日、わたしたちのキリストは時間と空間 の制限を受けられません。彼は、ご自身を信じるすべての者の中に住むことがで きるのです。 呼吸ほど単純なものはありません。深遠な奥義を人は理解できないかもしれませ んが、人であるかぎり呼吸することができます。キリストはご自身を便利な方と されましたので、だれもが受け入れ、経験することができます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 「キリストは霊であり命である」(1993年版)から引用されています。いずれも日 本福音書房から出版されています。