キリストは道である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、実際であり、命であ る。わたしを通してでなければ、だれも父に来ることはない」。 ヨハネ3:16 神はそのひとり子を賜ったほどに、世の人を愛された。それは、彼 の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは、主ご自身を信じることと信条を信じることとは二つの異なる事で あることを認識しなければなりません。あるクリスチャンは神の恵みを受けて目 が開かれ、自分がどのような人であるのかを見せられました。そこで彼は自分を 放棄して、主を信じ、主が自分の内側で、自分のできない事を行なってくださる と信じます。その結果、彼は神の御前で満足を得、解放されます。しばらくする と、別の人がやって来ました。彼はその人の証しを聞いて、自分も神の御前で照 らされることを求め、自分が何の役にも立たない者であることを知り、神を信じ ること、へりくだること、自分を放棄することを学びます。ところが、とても不 思議なことに、あの人は救われたのに、この人は救われません。 これはすなわち、最初の兄弟には神を信じる信仰があり、主に触れたのですが、 後の兄弟には信仰がなく、信条に倣っただけで、彼が受け入れたのは神ではなく、 信条であるからです。言い換えると、後の兄弟が得たものは方法であって、主で はないのです。そのような方法には力がなく、効果もありません。それは死んだ ものです。その方法は一つの事物であって、キリストご自身ではありません。 わたしたちは覚えておかなければなりませんが、霊的な事柄の上で、キリストか ら分離したいっさいの事物はすべて死んだものです。たとえあなたがすべての方 法を学んだとしても、あなたはクリスチャンになれません。ただキリストご自身 だけが、あなたをクリスチャンとさせるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1999年版)の「キリスト は道、真理、命である」第一編から引用されています。いずれも日本福音書房か ら出版されています。