あらゆる状況の中での救い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:19 というのは、あなたがたの祈り求めることと、イエス・キリストの 霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知 っているからです。(20節)そこで、わたしの切なる期待と希望は、わたしがどん な事にも恥じることなく、かえっていつものように、あらゆる事で大胆になって、 生きるにも死ぬにも、今なおキリストが、わたしの体において大きく表現される ことです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第1章19節で、パウロは自分の状況、境遇、環境が自分にとって救いとなると言い ます。第1章19節のパウロの言葉によれば、わたしたちが直面する困難な状況は わたしたちの救いとなり得るのです。わたしたちの状況がわたしたちにとって救 いとなるかどうかは、わたしたちがイエス・キリストの霊の満ちあふれる供給を 享受するかどうかにかかっています。もしわたしたちがこの満ちあふれる供給を 享受しないなら、わたしたちの状況は恥となるでしょう。わたしたちが直面する あらゆる状況は、救いとなるか恥となるかのどちらかです。例えば、一人の兄弟 の妻が兄弟に困難な時を与えるとします。その兄弟にとって、この状況は救いと なるか恥となるかのどちらかです。それは完全に、彼がイエス・キリストの霊の 満ちあふれる供給を享受するかどうかにかかっています。もし彼がその霊の供給 を享受するなら、彼は即時的な救いを経験するでしょう。そしてキリストが彼の 中で拡大されるでしょう。もし彼が供給を享受せずに、妻に対して怒るなら、彼 は恥を被るでしょう。繰り返して言いますが、もしその兄弟の妻に関する状況が 彼の救いとなるなら、キリストは拡大されるでしょう。非常に実際的な意味で、 第1章19節の救いは拡大されたキリストです。 わたしたちが日ごとに直面する諸問題に関して、特にわたしたちの家庭生活と教 会生活の中で、わたしたちは神の救いを必要とします。わたしたちはさまざまな 問題に対する様々な救いを必要とします。ある兄弟はあらゆる種類の聖徒たちと 話し合うのにある種類の救いが必要です。しかし、彼は妻との関係において別の 種類の救いを必要とします。神の定めによれば、人が一人でいるのは良くありま せん。すべての兄弟は妻を持つべきです。しかし、結婚生活の中で問題は避けら れません。これらすべての問題に対して、わたしたちは神の救いを必要とします。 神が結婚を定められたのは、わたしたちが彼を享受する機会を持つためです。も しわたしたちが主を享受するなら、わたしたちは結婚生活で彼の救いを経験する でしょう。 聖書に啓示されているように、神の救いには多くの種類があります。日ごとに、 また瞬間瞬間にでさえ、わたしたちは神の救いの様々な面を経験するでしょう。 年ごとに、月ごとに、週ごとに、日ごとに、また一瞬一瞬にでさえ、わたしたち は救いを経験する必要があります。わたしは神の救いなしに生きることは決して できません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ35から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。