呼ぶことによって呼吸する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:17 絶えず祈りなさい。(18節)あらゆることで感謝しなさい。な ぜなら、これがあなたがたに対する、キリスト・イエスにある神のみこころだか らです。(19節)その霊を消してはいけません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― テサロニケ人への第一の手紙第5章17節でパウロは絶えず祈ることをわたしたち に命じています。絶え間なく祈るとは何を意味するのでしょうか? わたしたち は一日に数回、食事を摂り、また一日の間に何回も飲みますが、絶えず食べたり 飲んだりすることのできる人はだれもいません。しかし、わたしたちは確かに絶 えず呼吸をします。パウロの絶えず祈るようにという命令は、不断の祈りという ものが呼吸のようなものであることを暗示しています。しかし、どのようにして わたしたちの祈りが、わたしたちの霊的呼吸となり得るのでしょうか? どのよ うにしてわたしたちは祈りを呼吸に変えることができるのでしょうか? これを 行なう方法は、主の御名を呼ぶことです。わたしたちは継続的に主イエスを呼ぶ 必要があります。これは呼吸する方法、絶えず祈る方法です。わたしたちはこれ に慣れていないので、いつも主の御名を呼ぶことを訓練する必要があります。生 きることは呼吸することです。霊的に言えば、呼吸することは主の御名を呼んで 祈ることです。主イエスの御名を呼ぶことによって、わたしたちはその霊を呼吸 します。 パウロは、絶えず祈るよう、またすべての事で感謝するよう、わたしたちに命じ た後で、その霊を消さないようにと言います(1テサロニケ5:19)。これは、もし わたしたちが祈ったり感謝をささげたりしないなら、わたしたちはその霊を消す ことを示しています。祈ることをやめるのは、呼吸を止めることです。ですから、 その霊を消すことは呼吸することを止めることです。 一日中、どこにいても、何をしていようとも、わたしたちは主を呼ぶ必要があり ます。わたしたちは何をしていようとも、主イエスを呼ぶべきです。あらゆる状 況の中で主の御名を呼びなさい。あなたが短気を起こしそうな時でさえもです。 主を呼ぶことにより、あなたはキリストを生きるでしょう。しかしながら、もし あなたが短気を起こすまいと決心するなら、あなたは敗北するでしょう。あなた の短気はもっとひどくなります。あなたの短気を制御しようとする代わりに、主 に向かって呼び求めて、次のように言いなさい、「主イエスよ、わたしはあなた を愛します。主よ、わたしは短気を起こしそうです。この中でわたしと一でいて ください」。もしあなたがこうするなら、あなたは短気から救われるでしょう。 そしてあなたはキリストを生きるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(四)」(1981年版)メ ッセージ34から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。