キリストの中でいっさいの事柄を行なうことができる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:11 わたしは乏しいから言うのではありません。というのは、わたしは どんな境遇でも、満ち足りることを学んだからです。(12節)わたしは卑しくなる 道を知り、また豊かになる道も知っています。あらゆる事において、またいっさ いの事柄において、わたしは飽くことにも飢えることにも、豊かになることにも 乏しくあることにも、秘訣を学びました。(13節)わたしは、わたしを力づけてく ださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 第4章10節から13節によれば、パウロは学び取った秘訣を獄中の自分の境遇に適 用しています。ローマの一囚人として、彼は信者たちの多くから、また彼の務め を通して興された多くの教会からも、遠く離れていました。疑いもなく、入獄期 間中、彼は心理的にも肉体的にも苦しみました。彼は物質的供給に窮乏していま した。そのような境遇にあって入獄しているのは、確かに容易なことではありま せんでした。 これらの節の中でパウロは、自分が欠乏していたことを、すなわち物質的供給を 必要としていたことを示しています。彼は欠乏していたとき、卑しめられていま した。獄吏や看守たち、親衛隊の全営の前でさえ、彼は窮乏しており、また卑し められていました。他の人たちは彼のことを、「あわれな囚人よ! 彼を顧みる 者はだれもいない。彼への供給は何一つない」と言ったことでしょう。その時、 突然、エパフロデトがピリピ人からの贈り物を携えて到着したのです(18節)。今 やパウロは、彼らの豊かな供給を受け取りました。彼は何にも欠けるところがあ りませんでした。彼は、「わたしはすべてのものを豊かに受けて、あり余ってい ます」と言うことができました。 エパフロデトが来る前、パウロは卑しめられていました。エパフロデトが供給を 携えて来た後、パウロは満ち足りていました。しかし彼は、この満ち足りている ことがいつまで続くのか知りませんでした。彼は再び欠乏の中にある時が来るで あろうことを知っていました。かつて彼は低い状態にいました。今や彼は頂上に いました。しかし、遠からず彼はまたもや低くなることでしょう。パウロは自分 の境遇が間もなく再び変わり得ることを知って、卑しくなる道も豊かになる道も 知っているだけでなく、また豊かであることも乏しくあることも知ったと言いま した。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。 f