秘訣を学ぶ(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:11 わたしは乏しいから言うのではありません。というのは、わたしは どんな境遇でも、満ち足りることを学んだからです。(12節)わたしは卑しくなる 道を知り、また豊かになる道も知っています。あらゆる事において、またいっさ いの事柄において、わたしは飽くことにも飢えることにも、豊かであることにも 乏しくあることにも、秘訣を学びました。(13節)わたしは、わたしを力づけてく ださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) キリストのからだである教会は多少奥義的であるとはいえ、教会は断じて秘密結 社ではありません。それどころか、教会は山の上に建てられた輝く都です。さら にまた、教会は入ってくることを望むすべての人に対して開かれています。しか し、教会には奥義的な面もあるのですから、教会生活の原則を学ぶために霊的入 門の必要があります。教会生活の基本的な原則は、この世の基本的原則とは全く 異なっています。わたしたちはこの世のすべての基本的原則を知っているかもし れませんが、教会生活については何も知らないかもしれません。ですから、わた したちは救われてキリストのからだである教会に入って来るとき、ある基本的原 則を学ぶことによって入門する必要があります。からだの秘訣は、キリストをわ たしたちの命とすること、キリストを生きること、キリストを追い求めること、 キリストを獲得すること、キリストを拡大すること、キリストを表現することで す。これらが、キリストのからだである教会の基本的原則です。からだへと入門 した者として、パウロはその秘訣を学び取りました。 今日、多くのクリスチャンはそのような方法で教会生活へと入門していません。 彼らはキリストへと回心し、バプテスマし、一宗派に加入しましたが、キリスト のからだの中へと入門していません。彼らは、どのようにしてキリストを命とす るか、どのようにしてキリストを生きるか、どのようにしてキリストを模範とす るか、どのようにして宗教的、文化的、哲学的な事柄すべてをちりあくたと勘定 してキリストを獲得すべきかを、学んでいません。彼らはパウロとは対照的に、 キリストを経験する秘訣を学んでいません。パウロは正当なクリスチャン生活と 正当な教会生活の両方に入門しました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。