真実で誉れのある生活 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:8 最後に、兄弟たちよ、何であれ真実なこと、何であれ誉れあること、 何であれ義なること、何であれ純粋なこと、何であれ愛らしいこと、何であれ好 評なこと、またもし何らかの徳があり、何らかの称賛があるなら、これらをよく よく考慮しなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストを生きる生活の第一の支配的な面は、「何であれ真実なこと」です。こ この真実という言葉は、倫理的な真実を意味します。単に事実の問題の真実だけ を意味するのではありません。キリストを生きる生活の表現には、何の偽り、何 のうそもあり得ません。わたしたちの行なう事や語る事のすべては、真実でなけ ればなりません。すべてキリストを生きる人は、どんな種類の虚偽も行なうべき ではありません。キリストの表現である生活とは、真実な生活です。 第二の面は、「何であれ誉れあること」です。「誉れあること」と訳されたギリ シャ語は、尊い、尊敬に値する、高貴な、謹厳であるという意味であり、威厳の 意味を含み、尊敬の念を抱かせ、引き起こします。キリストを生きる生活は、誉 れある、高貴な、謹厳な、重々しい、威厳あるものです。わたしたちは、年配の 人たちだけが重々しくあるべきだと考えてはなりません。すべての若い人たち、 十代の人たちでさえ、やはり威厳を持つべきです。中学生の若い兄弟でさえ威厳 を持つべきです。なぜなら、彼は内側に神を持っているからです。彼は神を内容 とする器であって、神が彼の価値、重み、威厳となっています。 威厳を持つとは、もったいぶった行動をすることではありません。それは神を生 きることです。ダイヤの指輪を入れている宝石箱は、箱そのもののゆえにではな く、そのダイヤモンドのゆえに威厳を持つのです。その箱に威厳を与えるのは、 箱の中のダイヤモンドです。同じように、わたしたちはキリストを入れる器です。 もしわたしたちが彼を生きるなら、わたしたちは真の威厳を持つでしょう。他の 人たちが、そのような威厳を帯びているわたしたちを見る時、彼らはわたしたち に対して深い尊敬を抱くでしょう。誉れあることのギリシャ語に含まれている威 厳は、常に深い尊敬を抱かせます。この威厳は、キリストを生きる生活の表現の 第二の支配的な面です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ28から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。