何事にも思い煩わない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:6 何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげ ることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知らせなさい。 1ペテロ5:7 あなたがたの心配事をすべて、神にゆだねてしまいなさい。なぜ なら、あなたがたに関することを、彼は心にかけていてくださるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 6節でパウロはさらに続けて、「何事にも思い煩うことなく」と言います。悪い 知らせを聞く時、しばしばわたしたちは心配し、思い煩いに陥ります。思い煩い は、キリストを生きることの根底を危うくします。思い煩うことなく、あらゆる ことにおいて感謝をささげることを伴う祈りと願いによって、あなたがたの要望 を神に知らせるべきです。そうすれば、神の平安があなたがたの心と思考を、キ リスト・イエスの中で護衛してくださいます(7節)。神の平安は、わたしたちを 心配と思い煩いから救います。思い煩いからの解放は、わたしたちを穏やかで安 らかに保つ目的のためです。 「あらゆることにおいて」(6節)という言葉は、日ごとにわたしたちに起こる多 くのさまざまな事柄を言います。主の祝福の下で、多くの積極的な事柄が起こり ます。そしてわたしたちは良い知らせを聞きます。しかしながら、わたしたちは また否定的な事柄も経験し、悪い知らせも聞きます。それにもかかわらず、あら ゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、わたし たちの要望を神に知らせるべきです。祈りは、礼拝と交わりの要素を伴う一般的 なものです。願いは、特定の必要のための特別なものです。パウロが「感謝をさ さげることを伴う」と言っていて、「感謝と」と言っていないことに注目してく ださい。これは、わたしたちの祈りも願い求めも、主に感謝をささげることを伴 っているべきことを示しています。 「神に」という句は、「神の御前に」または「神の臨在において」と訳してもよ いでしょう。ギリシャ語の前置詞の「pros」は、しばしば「と共に」と訳されま す。それは「前に向かっての動き」を意味しており、生ける結合や交流の意味が あり、交わりを暗示しています。わたしたちはそのような交わりの中で、自分の 要望を神に知らせるべきです。これは、わたしたちが神に接触するために祈るこ とを要求します。神に対するわたしたちの祈りの中には、礼拝や交わりの要素が なければなりません。また特別な必要のための願い求めにおいても、やはりそう です。たとえ特別な必要がないとしても、わたしたちは依然として毎日、主を礼 拝し、主との交わりを持つために、祈りのひとときを必要とします。祈りにおい て主を礼拝し、主との交わりを持つとき、わたしたちは主との交流を享受し、神 との有機的結合を実行します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ27から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。