わたしたちの体の変ぼう ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にあります。そこから救い主、主イ エス・キリストが来られるのを、わたしたちは熱心に待ち望んでいるのです。 (21節)キリストは、万物を彼ご自身に服従させることができる彼の活動によって、 わたしたちの卑しい体をも変貌させ、それを彼の栄光の体に同形化してください ます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 21節でパウロはわたしたちの体を「わたしたちの卑しい体」と言っています。こ れは、わたしたちの天然の体、すなわち価値のないちりで造られ(創2:7)、そし て罪、弱さ、病気、死によってだめにされた体を描いています(ローマ6:6, 7:24, 8:11)。しかし、ある日この体は変貌し、キリストの栄光の体へと同形化されま す。キリストの栄光の体とは、復活し、神の栄光で浸透され(ルカ24:26)、そし て腐朽と死とに超越した彼の体です(ローマ6:9)。 わたしたちが自分の体をどのように養おうが、また着せようが、またそれを運ぶ ためにどのような種類の自動車を使用しようが、またどのような住居に住まわせ ようが、それは依然として卑しい体です。あなたが自分の体を最上で最も高価な ベッドの上に休ませようとも、それはやはり卑しい体です。しかしながら、わた したちは自分の体を憎んだり、軽んじたりすべきではありません。もしわたした ちが自分の体を軽んじるなら、わたしたちは禁欲主義を実行することになります。 とても実際的な意味において、わたしたちは自分の体を主のために愛すべきです。 わたしたちは体を放縦させないで、体を顧みる必要があります。ある日、主イエ スは来られて、卑しい体を変貌させ、彼の栄光の体へと同形化してくださいます。 21節でパウロは、卑しい体の変貌は、「万物を彼ご自身に服従させることができ る彼の活動によって」であると言います。わたしたちの体の変貌は、万物を主に 服従させる大能によります(エペソ1:19-22)。これは全宇宙における全能の力で す。その時こそ、彼はわたしたちの卑しい体を変貌されます。こういうわけで、 わたしたちはキリストの再来を待ち望んでいるのです。それはわたしたちが神の 救いの究極的完成、すなわちわたしたちの体の変貌へともたらされるためです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。