円熟した信者の思い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:14 キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得 るために、目標に向かって追い求めています。(15節)こういうわけで、成人した 者はみな、この思いを持とうではありませんか。また、もしあなたがたが別のこ とを思っているなら、神はこれをも、あなたがたに啓示してくださるでしょう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 15節でパウロは、「成人した」という言葉を相対的な意味で用いており、それは 比較的成熟していることを意味しています。すなわち、子供じみているのではな いが、完全に成熟しているのでもないという意味です。ですから、さらに追い求 めること、さらに成長することが必要です。成人した者も、やはりキリストを追 い求める思いが必要です。ピリピ人への手紙を書いたとき、パウロは成人してい ました。しかし、彼は依然として成長していました。今日わたしたちの間で、す でに目標に達したと言える人はいません。わたしたちは子供じみてはおらず、事 実ある程度、成人しているかもしれませんが、まだ目標には達していないのです。 15節によれば、「成人した者はみな、この思いを」持つべきです。15節のパウロ の言葉は、もしわたしたちがこの思いを持っていないなら、わたしたちはまだ子 供じみた状態にあるかもしれないことを、それとなく言っています。この思いを 持っていないことは、わたしたちが成人していないことの一つの徴候です。今日 のクリスチャンの間の状態を考えると、多くの子供じみた状態が見られます。こ の思い、すなわちキリストを完全に享受し、得ることを追い求めるという思いを 持っている信者は、多くありません。もしすべての追い求めるクリスチャンが、 キリストの完全な享受と獲得を追い求めることに焦点を合わせた思いを持ってい たら、何と驚くべき状態になることか、考えてみてください。もし追い求めるク リスチャンたちがこのようであれば、地上の状態は何とすばらしいものになるで しょう。しかしながら、今日のクリスチャンの状態は混乱し、複雑になっていま す。これは、追い求めるクリスチャンたちがこの思いを持っていないからです。 彼らは神の唯一の目標を追い求める代わりに、他のいろいろな目標を追い求めて います。それらの異なる目標が、問題を引き起こすのです。わたしたちは一つの 目標を持つべきです。その目標とは、キリストを追い求めて、彼を完全に享受し、 完全に獲得するということでなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ24から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。