キリストを追い求めることがわたしたちの目標である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:13 兄弟たちよ、わたしはまだ自分自身、捕えたとは思っていません。 ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体 を伸ばしつつ、(14節)キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神 の賞を得るために、目標に向かって追い求めています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 目標と賞に関するパウロの言葉(14節)をわたしたちがどのように解釈するにして も、ある点では両方とも事実であることをわたしたちは否定できません。その賞 を受けるために、わたしたちは目標に達しなければなりません。その目標に達す るために、わたしたちはレースを走らなければなりません。目標に達した時にど のような種類の賞を得るかを理解しようとして、そらされてはなりません。決定 的に重要なのは、神聖な啓示によれば、神はキリストをあなたの目標また賞と定 められたということを、あなたが認識することです。なおまた神はあなたを、目 標に向かって体を伸ばすようにと召されました。わたしはあなたがたに、神が目 標を定められ、また賞を用意されたという事実に、心をとめるよう勧めます。わ たしはまたあなたがたに、良いレースを走って、後ろにあるものを忘れ、前にあ るものに向かって体を伸ばしつつキリストを追い求めるという必要を、心にとめ るよう勧めます。わたしは、前にあるものとはキリストと彼のからだである教会 に関する事柄であると信じます。わたしたちはみな、後ろにあるものを忘れ、わ たしたちの前方の輝かしい未来に、すなわちキリストを獲得し、彼のからだの中 で極みまでキリストを経験するという未来に、注意を払いましょう。 追い求める(14節)というギリシャ語はまた、迫害するとも訳すことができます。 パウロは救われる前、否定的な方法でキリストを迫害していました。救われた後、 彼はとても積極的な方法でキリストを迫害したと言えるほどまでに、キリストを 非常に追い求めました。人を迫害するということは、その人を悩ませること、そ の人を断じて離さないことです。パウロは救われる前、キリストを悩ませました。 そして彼は消極的に迫害し続けて、彼を離すまいとしました。しかし、救われて キリストによって獲得された後、彼はやはり、ただし積極的に彼を迫害しました。 なぜなら、彼は断じてキリストを離さなかったからです。わたしたちもまたこの ようにキリストを迫害すべきです。これが、キリストを獲得するために彼を追い 求めることです。キリストを離してはなりません。彼を悩ませ、彼を迫害しなさ い。それは彼を獲得するためです。わたしたちの全存在とわたしたちのすべての 力は、キリストを追い求めることに消耗されなければなりません。わたしたちの うちの多くの人が、キリストを追い求める必要を印象づけられ、キリストを迫害 するほどまでキリストを追い求めるようかき立てられることを、わたしは希望し ます。キリストがあなたから去るのを許してはなりません。キリストを捜し求め、 キリストを追い求め、キリストをそのように積極的に迫害するのです。そうすれ ば、あなたは彼を獲得するでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(三)」(1981年版)メ ッセージ23から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。