手を放し、キリストにゆだねる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ガラテヤ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているの はもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです。 ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 仮に、あなたが他の人によってそそのかされる時、いつもかんしゃくを起こすと します。今日あなたはどうするでしょうか? だれかがあなたを言葉でそそのか し続け、それがさらにひどくなる時、あなたはどうするでしょうか? 「主よ、 わたしはこの事を管理しません。わたしのかんしゃくは、わたしの事柄ではあり ません。勝利はあなたの事柄です。わたしは自分のかんしゃくを管理することは できません。主よ、あなたはこのことに対して責任を負わなければなりません」。 もしあなたがこのように言うことができるなら、あなたは確かに手放しているの です。主が取って代わってくださり、あなたは彼の忍耐を生かし出すでしょう。 あなたは彼に感謝し、賛美し、「主よ、わたしはこのことに対してもはや責任を 負いません」と言うことさえできるでしょう。 兄弟姉妹よ、わたしたちの最大の罪の一つは、不信仰という悪い心です。わたし たちは毎日、自分自身を管理しようとし、また自分自身を抑制しようとします。 わたしたちは、もし自分自身を管理し抑制しなかったらどうなるかと心配します。 わたしたちは未信者に福音を宣べ伝える時、彼に対して何も心配しないようにと 告げます。なぜなら、キリストが彼に代わって死なれたからです。彼はただ信じ る必要があるだけです。そうすれば、彼はすべてのものを受けます。同様に、わ たしたちはキリストと共に十字架につけられ、キリストがわたしたちの中に生き ておられます。神に感謝し、賛美します。キリストはわたしたちのかしらであり、 わたしたちは彼の肢体です。キリストはぶどうの木であり、わたしたちはその枝 です。キリストはわたしたちの命であり、わたしたちのすべてです。わたしたち が取り除かれ、わたしたちがあきらめ、わたしたちが退き、わたしたちが立ち去 る時、キリストがわたしたちの責任を負ってくださいます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第6編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。