死と復活は種にたとえられる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:10 キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同 形化されて……。 2コリント4:16 こういうわけで、わたしたちは落胆しません。それどころか、 わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新 しくされていきます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) カーネーションの種のこの例証は、新約の啓示と一致します。再び生まれた者と して、わたしたちは内側に神の種を持っています。ヨハネの第一の手紙第3章9節 によれば、神の種は、神から生まれたすべての者の中に住んでいます。この種は 神聖な命を内容としており、この命は復活の力です。復活の命が種の内側から解 き放たれるためには、種の外側の殻が砕かれなければなりません。これは苦難を 必要とします。 第3章10節でパウロはさらに進んで、キリストの苦難の交わりと、彼の死に同形 化されることについて語っています。キリストの苦難の交わりとは、わたしたち が彼の苦難にあずかることです。キリストは彼の全生涯の間、砕かれるという過 程を経られました。それは、命の力が彼の内側から解き放たれることができるた めでした。特に、彼が十字架上で死なれた時、彼は砕かれました。神聖な命がわ たしたちの中に植え込まれました。今やわたしたちも砕かれて、種の内側の命の 力が解き放たれることができるようにする必要があります。わたしたちの外なる 人が砕かれるなら、わたしたちの内側の種は、その命の力を解き放つことができ るでしょう。 最終的に、外なる人が砕かれるというこの過程は、キリストの死に完全に同形化 されるという結果になります。このようにして、キリストの死は、わたしたちが 砕かれることの模範、パターンとなります。その時、わたしたちは日常生活で、 キリストをわたしたちのあらゆる必要へと適用することができるでしょう。もし わたしたちが力を必要とするなら、彼がわたしたちの力となられます。もしわた したちが忍耐を必要とするなら、彼ご自身がわたしたちの忍耐となられます。こ れが、キリストを知り、キリストを経験し、キリストを享受することです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年 版)メッセージ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。