死と復活は種にたとえられる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:10 キリストと彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同 形化されて……。 エペソ1:19 また神の力強い大能の活動にしたがって、信じるわたしたちに働く 彼の力が、どんなに超越して偉大であるかを知るように。(20節)神は、その力強 い大能をキリストの内に働かせて、彼を死人の中から復活させ、彼を天上でご自 身の右に座らせ……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 第3章10節でパウロはキリストの復活の力について語ります。キリストの復活の 力は、彼を死人の中から復活させた彼の復活の命です(エペソ1:19-20)。キリス トの神聖な命は復活の要素を含んでいます。彼は復活する前でさえ、マルタに 「わたしは復活であり、命である」と言うことができました(ヨハネ11:25)。キ リストの復活の命の実際は、その霊です。復活は抽象的で奥義的です。だれもそ れを定義することができません。しかしわたしたちは、復活の実際としてのその 霊を知ることができます。キリストの霊はキリストの復活の実際です。ですから、 キリストの霊がある所には、復活があります。この霊は今やわたしたちの内側に おられるので、キリストの復活の力もわたしたちの内側にあります。 ある期間、断食して祈るなら、突然、霊的な力が授けられるという観念によって 左右され、影響されてはなりません。この観念によれば、神聖な力は、祈りと断 食によってそれを求める人たちの上に突然下るというのです。これは、新約に啓 示されている真の霊的道にしたがっていません。この霊的道によれば、わたした ちは主イエスを信じる時、再生されて、その霊がわたしたちに分け与えられて、 わたしたちの中で復活の力となってくださるのです。 わたしたちはカーネーションの種を用いて、復活の命がどのように解き放たれる かを例証することができます。カーネーションの種はごく小さいのですが、カー ネーションを生み出すことができる命の力を含んでいます。この命の要素がすで に種の中にあるので、外側から力が種に加えられる必要はありません。唯一必要 なことは、種が地に落ちて死ぬことです。種が死を経過するなら、その殻は砕か れ、命が高い所からではなく、種の内側から解き放たれます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年 版)メッセージ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。