わたしたちの弱さを誇る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント12:9 すると彼(主)はわたしに言われました、「わたしの恵みは、あ なたに対して十分である。わたしの力は、弱さの中で完全に現れる」。ですから、 わたしはむしろ自分の弱さを、大いに喜んで誇りましょう。それはキリストの力 が、わたしの上に幕屋を張るためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― あなたはこれを見ましたか? 弱さは、人が悲しむべきものではありません。弱 さは、泣くべきものではありません。弱さは、人が誇るべきものです。あなたは 「主よ、あなたがわたしに勝利を得させてくださったことを、感謝し賛美します」 と言えるでしょうが、「主よ、あなたがわたしに惨めな失敗を経験させてくださ ったことを、感謝し賛美します」と言ったことがあるでしょうか? あなたは、 忍耐を与えてくださった主に感謝し賛美しますが、自分が短気に打ち勝てないこ とを主に感謝し賛美したことがあるでしょうか? あなたは、自分の高ぶりのゆ えに主に感謝し賛美したことがあるでしょうか? あなたは、自分のしっとのゆ えに主に感謝し賛美したことがあるでしょうか? あなたは、内なる汚れと罪の ゆえに主に感謝し賛美したことがあるでしょうか? もしあなたにこれらの問題 があるなら、あなたはそれらのゆえに主に感謝し賛美すべきです。 なぜパウロは、「わたしはむしろ自分の弱さを、大いに喜んで誇りましょう」と 言ったのでしょうか? 「誇る」という言葉は、原分では「栄光」です。パウロ は、自分の弱さは栄光となると言ったのです。それは、キリストがご自身の力を 現す機会となり、この力がパウロの上に幕屋を張る機会となるからです。キリス トの力は、弱さを持たない者の上に幕屋を張ることはできません。ただ弱さを持 つ者だけが、キリストの力が幕屋を張ることを経験することができるのです。わ たしは自分の弱さを大いに喜んで誇ります。なぜなら、わたしの弱さは、わたし の中で主が働く機会を与えるからです。それらは主に、ご自身の力を現して、わ たしの中で何かを行なう機会を与えるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)第4編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。