つぶやいたり議論したりしない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ2:14 すべての事を、つぶやいたり議論したりすることなく行ないなさい。 (15節)それは、あなたがたが、曲がったよこしまな世代のただ中で、責められ るところのない、たくらみのない、すなわち傷のない神の子供たちとなり、彼ら の間で世にあって発光体のように輝き……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今や14節でパウロは警告を発します、「すべての事を、つぶやいたり議論したり することなく行ないなさい」。両方とも、わたしたちの救いを最高の程度に完成 するのを妨げ、そしてキリストを最大限に経験するのを妨げます。ここの文脈は、 もしつぶやいたり議論したりするなら、わたしたちは従順ではないことを示しま す。神への従順は、すべてのつぶやきと議論を殺します。わたしたちの救いを成 し遂げるために、わたしたちは内で活動する神に従わなければなりません。彼ご 自身がわたしたちの救いであり、彼に対するわたしたちの従順が、わたしたちの 救いを成し遂げるのです。姉妹たちはつぶやく時、自分の内で働いておられる神 に従っていないことを認識する必要があります。同じように、兄弟たちは議論す るときはいつでも、彼らの内で活動する方に反逆していることを見る必要があり ます。従順によってのみ、つぶやきと議論が死に渡されることができます。 つぶやきと議論は、わたしたちのクリスチャン生活を妨害する重大な要因です。 パウロは経験から、わたしたちが救いを成し遂げようとするなら、すべての事を つぶやいたり議論したりすることなく行なう必要があることを知っていました。 何とわたしたちは、主がつぶやきと議論からわたしたちを救ってくださるのを必 要とすることでしょう! 15節で、「それは」と訳されたギリシャ語の言葉は、「……するためである」を 意味します。わたしたちがすべての事を、つぶやいたり議論したりすることなく 行なうべきであるのは、責められるところのない、たくらみのない、すなわち傷 のない神の子供たちとなるためです。たくらみのないと訳されたギリシャ語の言 葉はまた、単純な、飾りのない、純真な、それゆえ害がないことを意味します( マタイ10:16)。ギリシャ語の語源は、混合がないことを意味します。責められる ところのないとは、わたしたちの外側の振る舞いを表します。たくらみのないと は、内側の性格を表します。飾りのないとは、政治的に振る舞わないことを意味 します。政治的な人を、たくらみがないと言うことはできません。もしわたした ちが飾りのない者であるなら、たくらみがなく、害がありません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(2002年 版)第13編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。