最高の御名を告白する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ2:9 それゆえに、神もまた、彼を高く引き上げ、そして、あらゆる名に まさる名を彼に与えられました。(10節)それは、天にあるもの、地上にあるもの、 地下にあるものが、イエスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、 (11節)そしてあらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と公に言い表し、 父なる神の栄光となるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主はご自身を極限まで低くされました。しかし、神は彼を最高の絶頂に揚げられ ました。この節で言及された名は次の節に示されているようにイエスの御名です。 主の昇天の時以来、イエスの御名にまさる名がこの地上にあったことはありませ ん。神は、ひとりの実在する方であるイエスを高く揚げて、万物の主とされまし た。こういうわけで、わたしたちが「おお、主イエスよ」と呼ぶのは全く正しい のです。わたしたちは主の御名を公然と言い表す必要があります。御名を呼ぶこ とによって主を礼拝することは、何という栄光でしょう! 事実、新約聖書の中 では、わたしたちが主の御名を呼ぶべきであることの明白な表示があります。 パウロがタルソのサウロであった時、彼はイエスの御名を呼ぶ者たちを捕縛せよ との祭司長からの権威を受けました。主は高く引き揚げられたことにより、あら ゆる名にまさる名を与えられました。歴史上、かつて主イエスの御名以上に高い 名はありませんでした。宇宙における最高の名、最大の名は、イエスの御名です。 その御名は、主イエスが彼の人位とみわざとの中で何であられるかの総合計の表 現です。「御名の中で」という言葉は、「主の存在すべてに属する領域と要素の 中で」を意味します。このようにしてわたしたちは主を礼拝し、主に祈るのです。 わたしたちは主イエスの御名を呼ぶだけではなく、また彼の御名の中でひざをか がめるべきです。これが主を礼拝することです。 10節でわたしたちは宇宙における三つの水準を見ます。天、地、そして地下です。 それらあらゆる水準の人たちがひざをかがめて拝し、イエス・キリストは主であ ると告白する時が、来つつあります。主イエス・キリストは主であると公然と告 白することは、主を呼ぶことです(ローマ10:9-10、12-13)。人としての主イエス は、彼の昇天において神によって主とされました(使徒2:36)。ですから、あらゆ る舌は、彼が主であることを告白すべきです。この告白は父なる神の栄光へと至 ります。「となる」と訳されたギリシャ語は、「という結果になる」を意味しま す。イエスは主であるとのわたしたちの告白は、父なる神の栄光という結果にな ります。これは、キリストが何であられるかのすべてと、彼が彼の人位とみわざ の中で行なわれたすべての偉大な結末です(1コリント15:24-28)。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(二)」(1981年版)メ ッセージ11から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。