主の辱めの七つの段階(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ2:5 キリスト・イエスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも 思いとしなさい。(6節)この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあ るのを固守すべき尊いこととは見なさず、(7節)かえってご自身をむなしくし、 奴隷の形を取り、人の姿になられて、(8節)人としての有り様で見いだされ、ご 自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられまし た。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 8節は続けます、「人としての有り様で見いだされ、ご自身を低くして、死にま でも、しかも十字架の死に至るまでも従順になられました」。キリストが人性の 状態へと入られて人の姿になられたとき、彼は人々によって人としての有り様で 見いだされました。有り様という言葉は、外側の外見、見かけを意味します。キ リストは彼の人性においてどのように見られたかというと、人々によって人とし ての有り様で見いだされたのでした。人としての有り様で見いだされて、キリス トはご自身を低くされました。まず彼は神格の形、外側の表現を脱ぎ捨て、人の 姿になることによって、ご自身をむなしくされました。それから彼は死に至るま でも従順になることによってご自身を低くされました。キリストは神の表現を持 つ神でした。彼は神と等しくありましたが、彼はこの等しさを脱ぎ捨てました。 そして人の姿を取ることによってご自身をむなしくされました。これは、彼が受 肉を通して人と成られたことを示します。それから、彼は人の外観の中に見いだ されて、ご自身を低くされました。これは、彼が人であったとき、何事も主張さ れなかったことを示します。むしろ彼は、十字架上で死ぬという点にまでご自身 を低くされました。これがわたしたちの模範としてのキリストです。 ご自身を低くすることは、ご自身をむなしくすることのさらに進んだものです。 キリストがご自身を低くしたことは、彼がご自身をむなしくされたことを明らか に示しています。十字架の死は、キリストがご自身を低くされたことの極みです。 ユダヤ人にとっては、これはのろいでした(申21:22-23)。異邦人にとっては、そ れは悪人と奴隷に課せられた死刑でした(マタイ27:16-17、20-23)。ですから、 それは恥ずべきものでした(ヘブル12:2)。 主の辱めには七つの段階が含まれています。ご自身をむなしくすること、奴隷の 形を取ること、人の姿になること、ご自身を低くすること、従順になること、死 に至るまで従順になること、十字架の死に至るまで従順になることです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ10から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。