同じ事を思う ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ2:2 どうかあなたがたは同じ事を思い、同じ愛を持ち、魂において結合 され、一つの事を思って、わたしの喜びが満ちるようにしてください。(3節)何 事も、自分本位の野心から、また虚栄からするのではなく、むしろ謙虚な思いで、 互いに他の人を自分自身よりもすぐれていると思いなさい。(4節)おのおの自分 自身の長所だけでなく、他の人たちの長所にも目をとめなさい。(5節)キリスト ・イエスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストがわたしたちの思いに浸透し、思考を占有しなければ、同じ事を思うこ とはできません。そのようにする時、わたしたちは自然に同じ事を考え、一つの 事をさえ思うでしょう。このようにキリストで浸透されることがなければ、どん な人も、夫婦でさえも、同じ事を思うことはできないでしょう。それにもかかわ らず、パウロの訴えと期待は、ピリピの教会全体が同じ事を思うことでした。し かし、大きなグループの人々がどうして一つの事を思うことができるでしょうか?  もう一度指摘しますが、それは信者たちがキリストに占有されて、キリストに 全存在を浸透していただくとき、はじめて可能になるのです。その時はじめて、 わたしたちは同じ事を思うことができるのです。 キリストは唯一であり、中心であり、普遍的です。キリストが教理的にではなく、 経験的にわたしたちの中心性また普遍性となるとき、わたしたちは自然に同じ事 を思うでしょう。わたしたちは、同じ愛をもっているか、魂において結合されて いるか、競争心や虚栄心から自由であるか、他の人を自分自身よりもすぐれてい ると思っているか、他の人の美徳や長所を認めているかというようなことをチェ ックすることで、真に同じ事を思っているかどうかをテストすることができます。 これらの事柄は、わたしたちが実際にどの程度までキリストに占有され、キリス トに占領され、キリストで浸透されているかをテストします。もしキリストが真 にわたしたちを内側で占有しているなら、すべての聖徒に対するわたしたちの愛 は同じレベルであるはずです。さらに、わたしたちは魂において結合され、わた したちの思いはキリストを知ること、キリストを経験すること、キリストを追い 求めること、キリストを獲得することで占有されているでしょう。その結果、わ たしたちは競争心や虚栄心では何も行なわないでしょうし、逆に他の人を自分自 身よりもすぐれていると考え、その美徳や長所を認めるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ10から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。