魂の武器を使う ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:27 ただ、キリストの福音にふさわしく振る舞いなさい。そうすれば、 わたしが行ってあなたがたを見るにしても、離れているにしても、あなたがたは 一つ霊の中でしっかりと立ち、一つ魂をもって、福音の信仰と共に奮闘しており、 2コリント10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の御前に力 があって、要塞をも破壊し……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― しかしながら、一つ霊の中でしっかりと立つことは防御の手段であって、攻撃の 手段ではありません。すでに指摘したように、攻撃がなければ防御を維持するこ とはできません。ですから、霊の中でしっかりと立つためには、一つ魂をもって 共に奮闘し、戦う必要もあります。「の中で」という語は領域を示しますが、 「をもって」という語は手段を示します。領域はわたしたちの霊ですが、手段は わたしたちの魂です。 わたしたちの魂の機能は、戦争で使う武器のようなものです。わたしたちはこの ような魂の武器を用いて、共に奮闘しなければなりません。霊の中にいるだけで 十分であると思わないでください。そうではありません。わたしたちは、思い、 意志、感情も活用しなければなりません。思いは思慮深くあるべきであり、感情 は豊かであるべきであり、意志は強固でなければなりません。その時、わたした ちは戦うための強力な武器を得ることができます。一見すると霊的に見えても、 魂はクラゲのような人がいます。彼らはとても優柔不断であり、決して戦おうと も奮闘しようともしません。これは、彼らが必要な武器を持っていないことを示 します。彼らは使徒パウロと全く違っています。パウロは立ったとき、霊の中で 立ちました。しかし、彼は奮闘したときは、とても強い魂をもって奮闘しました。 わたしたちの問題は、優柔不断で魂の機能を使おうとしないことか、または敵と 戦う代わりにお互いが異議を唱えて戦っているということです。優柔不断な人は クラゲのようであり、背骨もなく、どんな骨もないかのようです。彼らは「霊的」 でありたいので、いつも上品に、親切に、謙虚に振る舞い、福音の信仰の中で魂 をもって奮闘することがありません。しかしながら、ある人たちは、思い、感情、 意志を用いて戦い、奮闘しますが、戦う時に異議を唱えて、敵と戦う代わりに他 の聖徒たちと戦ってしまいます。こういうわけでパウロは、一つ魂をもって奮闘 するようにとわたしたちに告げるのです。わたしたちは、一つ魂をもって敵と戦 わなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピへの手紙(一)」(1981年版)メッ セージ8から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。