霊の中でしっかりと立つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:27 ただ、キリストに福音にふさわしく振る舞いなさい。そうすれば、 わたしが行ってあなたがたを見るにしても、離れているにしても、あなたがたは 一つ魂をもって、福音の信仰と共に奮闘しながら、一つ霊の中でしっかりと立ち。 (原文) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もししっかりと立とうとしたら、わたしたちには一つ霊の中にいなければなりま せん。もし奮闘しようとしたら、わたしたちは一つ魂である必要があります。わ たしたちの経験において、一つ霊の中にいることと一つ魂をもっていることとの 間には大きな違いがあることを、わたしたちは知っています。教会が攻撃され反 対されている時はいつでも、わたしたちはしっかりと立つ必要があります。どこ においてわたしたちはしっかりと立つのでしょうか? わたしたちは霊の中でし っかりと立つのです。わたしたちの霊の中にとどまらないなら、わたしたちは分 裂するでしょう。まず意見が入ってきます。それから不和が起こるでしょう。そ してついには分裂が起こります。たとえ三人の兄弟が一緒であっても、霊の中に とどまっていないなら、彼らは最終的に分裂します。異なる意見、思想、観念は 衝突へと導き、この衝突は一の根底を危うくし、分裂を引き起こします。ですか ら、わたしたちは霊の中にある時はじめて、しっかりと立つことができます。わ たしたちの存在の他の器官の中では、わたしたちはしっかりと立つことができま せん。 自分の経験を考えてみれば、わたしたちが反対されたり攻撃されたりして霊の中 から引き出されれば、疑いや疑問がわたしたちの内側でわき上がることに、わた したちは気づくでしょう。仮に、ピリピの信者たちがユダヤ教宣教者たちによっ て反対されたとき、霊の中にとどまらなかったとしてみましょう。彼らはパウロ について疑いや疑問を抱いたことでしょう。彼らは、パウロがすべての真理を自 分たちに告げたのであろうかと考えたり、あるいは、ユダヤ教宣教者たちのほう が自分たちの必要としているものをさらに多く持っているのではなかろうかと考 えたりしたことでしょう。そのような疑いや疑問は、霊の中に源があるのではあ りません。わたしたちが自分の霊に戻り、そこにとどまり、否定的な疑いや疑惑 に対してわたしたちの存在を閉ざすとき、そこには何の問題もありません。攻撃 されたり反対されたりする間に、わたしたちは霊から引き出されるかもしれませ ん。もしこれがわたしたちの状態であることに気づいたら、わたしたちは直ちに 自分の霊に戻り、サタンの攻撃に対して戸口を閉ざさなければなりません。この ように霊の中にとどまることが、霊の中でしっかりと立つことです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ8から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。