その霊の漸進的な発展(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 啓示録4:5 御座からは、いなずまと声と雷鳴とが発している。そして七つのと もし火が、御座の前で燃えていた。この七つのともし火は、神の七つの霊である。 5:6 ……ほふられたばかりのような小羊が立っているのを見た。それには七つ の角と七つの目があった。それは全地に遣わされた神の七つの霊である。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 啓示録は神の七つの霊に言及しています(啓示録1:4、4:5、5:6)。これら七つの 霊は、神の御座の前で燃えている七つのともし火であり、また小羊の七つの目で もあります。啓示録が七つの霊を述べているので、霊なる神が一つであるか七つ であるかをわたしたちは問わなければなりません。わたしたちの知性における数 学に従えば、一つは一つであり、七つは七つです。しかし、聖書の数学によれば、 七つは一つであり、一つは七つであるという意味があります。一つの霊が七つの 霊と呼ばれるのです。 もし聖霊について正当な理解を持ちたければ、今日のその霊は、受肉、人の生活、 十字架、復活を通して手順を経た三一の神にほかならないことを、わたしたちは 認識する必要があります。手順を経たという言葉に反対する人もいます。神が手 順を経るなどあり得ないことであると、彼らは主張します。しかし神は、受肉、 人の生活、十字架、復活を経過されなかったでしょうか? これが一つの手順で ないとしたら、そのことを記述するためにどのような言葉を使うべきでしょうか?  わたしたちが三一という言葉を用いて聖書の中にある三一の神の啓示を伝える のと同じように、わたしたちは手順という言葉を用いて、キリストの受肉から復 活まで三一の神が取られた各段階を伝えるのです。 わたしたちはイエス・キリストの霊について単なる教理の理解を持つことで満足 しません。わたしたちはさらに進んで、その霊、混ぜ合わされた霊、神の七つの 霊を経験しなければなりません。わたしたちは、混ぜ合わされた、すべてを含む、 命を与える霊をさらに多く経験する必要があります。この霊は手順を経た三一の 神であり、わたしたちにとってあらゆるものです。そのような霊によって、パウ ロは神のエコノミーのために苦難を受け、それと同時に、復活の中で彼を力づけ る満ちあふれる供給を享受しました。パウロが勝利者であったのは、彼が強い意 志を持っていたからではありません。彼が勝利者になることができたのは、彼が すべてを含む霊をその満ちあふれる供給と共に経験し、享受したからでした。こ の霊は彼の中に住み、彼にとってあらゆるものとなっていました。パウロは、三 一の神がご自身をパウロの存在の中へと造り込みつつあることを、経験において 認識しました。どうかわたしたちもまた、調合された、すべてを含む、命を与え る霊としての三一の神がわたしたちに供給し、ご自身をわたしたちの中に造り込 むのを、経験し享受しますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ5から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。