異なる宣べ伝えを識別する



――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――

ピリピ1:15 ある者たちは、実にねたみや闘争心のゆえにキリストを宣べ伝えま

すが、ある者たちは、善意のゆえにそうしています。(16節)後者は愛からであり、

わたしが福音の弁明のために立てられていることを知っています。(17節)しかし、

前者は純粋にではなく、自分本位の野心からキリストを宣べ伝え、監禁されてい

るわたしに、苦難をさらに増し加えようと考えているのです。



―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――

第1章15節でパウロは言います、「ある者たちは、実にねたみや闘争心のゆえにキ

リストを宣べ伝えます」。ここのある者という語は、パウロと彼の務めとに反対

していたクリスチャンたちのことを言っています(2コリント10:7、11:22-23)。

パウロの時でさえ、パウロの影響力をねたみ、彼に対して闘争心を抱いて福音を

宣べ伝える者たちがいました。闘争心と訳されたギリシャ語が示すように、彼ら

は派閥、党派心からキリストを宣べ伝えました。第1章17節でパウロは進んで、

これらの者たちは「純粋にではなく、自分本位の野心からキリストを宣べ伝え、

監禁されているわたしに、苦難をさらに増し加えようと考えているのです」と言

っています。野心というギリシャ語は、自己追求、自己中心の野心、派閥を示し

ます。ギリシャ語で苦難は、圧迫を意味します。野心からキリストを告げ知らせ

る人たちは、パウロが宣べ伝えから外面的に除外されている間に彼と彼の務めを

けなすことによって、パウロの監禁にさらに圧迫を加えようと努めました。



第1章15節でパウロは、ある者はまた善意からキリストを宣べ伝えたと言います。

これらの人たちは、福音を宣べ伝えることにおいてパウロと共に交わりを持ち、

共にあずかりました。また、パウロと共に働いて、福音を弁明し、愛からキリス

トを宣べ伝えました。



すべてのクリスチャンが同じ主イエスを信じ、同じ神を礼拝し、同じ聖書を教え、

福音を宣べ伝えているとしても、彼らはキリストを宣べ伝える異なる方法を持っ

ているかもしれません。第1章15節のパウロの言葉から、第1世紀においてさえ、

キリストを宣べ伝える異なる方法のあったことが非常にはっきりしています。パ

ウロとユダヤ教的信者たちは、どちらもキリストを宣べ伝えました。しかし、キ

リストを宣べ伝えることにおいて、彼らはとても異なっていました。キリストの

宣べ伝える異なる方法があるのですから、わたしたちは知識と識別力を必要とし

ます。こういうわけで、パウロはピリピ人たちのために、彼らの「愛が、全き知

識とあらゆる識別力において、なお一層あふれ」るようにと祈ったのです(1:9)。

わたしたちは、キリストの異なる宣べ伝えに関して識別力を必要とします。世界

中のクリスチャンはみなキリストを宣べ伝えています。しかしながら、わたした

ちはみな同じキリストを宣べ伝えているのだから万事結構であると単純に思うべ

きではありません。キリストを宣べ伝える異なる方法があることを認識し、それ

らを識別する必要があります。



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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、

ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ

ッセージ4から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。