キリストの心の中にいる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:7 わたしがあなたがたすべてについて、このように考えるのは当然で す。なぜなら、あなたがたはわたしを心にとめていて、わたしが監禁されている 時も、福音を弁明し立証している時も、あなたがたはみな、わたしの恵みに共に あずかる者であるからです。(8節)というのは、わたしが、あなたがた一同をキ リスト・イエスの心の中で、どんなに恋い慕っているか、神がわたしの証人です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― この節(8節)は、パウロがキリストの心を経験したことを示します。「心」と訳 されたギリシャ語は、はらわたを意味します。それは内側の愛情、それから優し いあわれみと同情を象徴します。パウロは聖徒たちを恋い慕う点では、キリスト のはらわた、すなわちキリストの優しい心においてでさえ、キリストと一つでし た。 7節と8節は一緒のものであり、引き離すべきではありません。8節が「というの は」という接続詞で始まっているのに注目してください。これは、恵みがキリス トの心に関係があることを示します。パウロは恵みにあずかりました。というの は、彼はキリストの心の中ですべての聖徒たちを恋い慕ったからです。キリスト を享受することは、キリストの心と一つになることです。これはキリストを享受 することだけでなく、またキリストを生きることでもあります。キリストを生き ることは、彼の心の中に住みつくこと、そしてそこで彼を恵みとして享受するこ とです。 この章の他の所でパウロは、キリストを大きく表現すること、またキリストを生 きることについて語っています。経験的には、キリストを大きく表現すること、 またキリストを生きることは、わたしたちがキリストの心の中にとどまっている ことを要求します。簡単に言えば、これは彼の中に住みつくことです。もしわた したちがキリストの中にいる者でありたいのでしたら、わたしたちは彼の心の中 にいなければなりません。わたしたちは彼の優しい心と繊細な感情の中にいる必 要があります。もしわたしたちがここに住みつくなら、わたしたちはキリストを わたしたちの恵みとして享受し、また極めて実行的な方法で彼を経験するでしょ う。わたしたちがキリストを経験し、また彼を恵みとして享受するとき、わたし たちは今日の地上における神のエコノミーの成就に心にとめることによって、福 音のために受ける苦難の中で支えられるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。