福音を前進させる交わり ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ1:3 わたしは、あなたがたのことを思うたびに、わたしの神に感謝し、 (5節)最初の日から今日までの、福音を前進させるあなたがたの交わりに感謝し ています。(7節)……なぜなら、あなたがたはわたしを心にとめていて、わたし が監禁されている時も、福音を弁明し立証している時も、あなたがたはみな、わ たしの恵みに共にあずかる者であるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ピリピに在る教会はまた、福音の前進においてパウロと交わりを持ちました。こ この交わりは、あずかること、交流を意味します。同じギリシャ語は、ローマ人 への手紙第15章26節では援助と訳され、ヘブル人への手紙第13章16節では分け合 うことと訳されています。ピリピにいる聖徒たちは福音のための交わりを持ち、 使徒パウロの務めを通して福音の前進にあずかっていました。このあずかること は、同使徒に対する彼らの財政的援助を含んでいました(4:10、15-16節)。そし てそれが福音の前進となりました。この種の交わりは、彼らを個人主義的であっ たり、まちまちの思いであったりすることから守り、彼らが使徒パウロと一つで あること、また互いにも一つであることを意味します。これは彼らに、キリスト の経験と享受とに対する基盤を与えました。それが本書の主要点です。キリスト を経験し、享受する生活は、福音の前進における生活、個人的にではなく団体的 に福音を宣べ伝える生活です。ですから、「福音を前進させる交わり」がありま す。福音の前進において交わりを多く持てば持つほど、わたしたちはさらに多く キリストを経験し、享受します。これはわたしたちの自己、野心、好み、選択を 殺します。 ピリピの信者たちが福音の前進に、すなわち神のエコノミーにしたがった神の地 上での動きの前進にあずかっていたとき、彼らはパウロと共に恵みにあずかる者 たちでした。恵みにあずかる人たちは、手順を経た三一の神を恵みとしてあずか り享受する人たちです。同使徒は、その福音の弁明と立証におけるそのような人 でありましたし、またピリピの聖徒たちはこの恵みの中で彼と共にあずかる者た ちでした。恵みとは、わたしたちの享受となるために手順を経られた三一の神で す。パウロと共に福音への交わりを持つことにより、ピリピ人たちはこの恵みを 享受しました。ギリシャ語の表現によれば、彼らはパウロの恵み、すなわちパウ ロが享受した恵みそのものにあずかる者たちになったのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ピリピ人への手紙(一)」(1981年版)メ ッセージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。