イエスの御名の中にある権威(2)



――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――

使徒3:6 しかし、ペテロは言った、「金銀はわたしにはない。しかし、わたし

が持っているものを、あなたにあげよう。ナザレ人イエス・キリストの御名の中

で立ち上がり、歩きなさい」。

4:12 この方のほかに、救いはありません。わたしたちが救われるべき名は、こ

の名のほか、天下のだれにも与えられていないからです。



―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――

(全2編のうちの第2編)

この名は何を表しているのでしょうか? この名は権威を表し、力を表していま

す。なぜ名は権威を表し、また力を表すのでしょうか? ピリピ人への手紙第2

章10節から11節は言います、「それは、天にあるもの、地上にあるもの、地下に

あるものが、イエスの御名の中で、すべてひざをかがめるためであり、そしてあ

らゆる舌が、『イエス・キリストは主である』と公に言い表し、父なる神の栄光

となるためです」。これが権威です。どんな人でもイエスの御名の中でひざをか

がめるべきであり、どんな人でもイエスの御名の中で彼を主と告白するべきです。

ですから、「イエス」という御名の意味は、神が彼に、すべてを超越する権威と

力を賜ったということです。



ルカによる福音書第10章17節で弟子たちは主に対して言いました、「主よ、悪鬼

どもでさえ、あなたの御名の中でわたしたちに服従します」。主の御名によって

悪鬼を追い出すというのは、弟子たちにとって一大事でした。地上には多くの名

がありますが、悪鬼はそれらを恐れません。しかし、弟子たちが主イエスの御名

の中で何かを行なうと、悪鬼は彼らに服従したのです。後ほど主イエスは彼らに、

なぜご自身の御名が悪鬼を服従させたのかを説明して言われました、「わたしは

あなたがたに、……敵のすべての力を踏みつける権威を授けた」(19節)。ですか

ら、名は権威に等しいのです。名があるところには権威もあるのです。



これがすべてではありません。ユダヤ人の支配者たちもこのことを知っていまし

た。ペテロがあの足の不自由な人を立ち上がらせて歩かせた翌日、支配者たちは

使徒たちを真ん中に立たせて問いました、「おまえたちは何の力によって、だれ

の名の中で、これを行なったのか?」(使徒4:7)。言い換えれば、彼らは何の権

威をもって、あの人を立って歩かせたのかということです。彼らは、あらゆる名

に権威があることを知っていました。ですから、イエスの御名は、神が彼に託さ

れたいっさいの権威を表しています。名そのものが権威であるのではなく、名の

効力が権威であるのです。



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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、

ウオッチマン・ニー全集第22巻「教会の祈りの務め」(1996年版)メッセージ第3

編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。