むなしい言葉を繰り返してはならない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:7 また祈る時、異邦人がするように、むなしい言葉を繰り返してはな らない。彼らは、言葉数が多ければ聞かれると思っている。(8節)だから、彼ら のようであってはならない。なぜなら、あなたがたの父は、あなたがたが求める 前から、あなたがたに必要なものを知っておられるからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主はわたしたちに次のようにも教えられました、「祈る時、異邦人がするように、 むなしい言葉を繰り返してはならない。彼らは、言葉数が多ければ聞かれると思 っている」。「言葉数が多い」というのはギリシャ語では、どもる人が単調な繰 り返しの言葉を出すようにしゃべることです。彼らは祈る時、同じ言葉を単調に 繰り返して語ります。このような祈りは、音声があるだけで、何の意味らしいも のもありません。彼らが祈るのをあなたがそばで聞いていると、ちょうど谷川の 水が岩にぶつかり続けて発するような単調な繰り返しの音のようです。彼らは、 同じような言葉を何度も何度も繰り返します。彼らは、何度も繰り返せば聞かれ ると思っています。しかし、このような祈りは役に立ちません。このような祈り には効果がありません。わたしたちは、このような祈りに倣うことはできません。 「彼らのようであってはならない。なぜなら、あなたがたの父は、あなたがたが 求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるからである」。これが わたしたちに示していることは、わたしたちの祈りが神の答えを得ることができ るかどうかは、わたしたちの神の御前での態度にかかっており、またわたしたち に必要があるかどうかにかかっているということです。祈りが答えを得ることが できるかどうかは、わたしたちの言葉の多い少ないによるのではありません。も しわたしたちの祈り求めるものが、わたしたちに必要なものでないとしたら、言 葉数がどんなに多くてもやはり聞かれません。必要があるゆえに祈り求めるので ないなら、それはむさぼりであり、むなしく求めることです。神は、わたしたち の必要なものを喜んで与えてくださいます。しかし神は、わたしたち自身の利己 的な願望を満足させようとはされません。ある人は、わたしたちの必要なものを 神がすでに知っておられるのなら、わたしたちが祈り求める必要はないのではな いかと言います。これは愚かな言葉です。わたしたちが祈る目的は、神に知って いただくためではありません。それは、わたしたちの信頼、わたしたちの信仰、 わたしたちの依存、わたしたちの心の願望を神に示すためです。ですから、わた したちは祈るべきです。しかし、祈る時、わたしたちの心の願いが言葉にまさっ ているべきです。また、わたしたちの信仰も言葉にまさっているべきです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第22巻「教会の祈りの務め」(1996年版)メッセージ第2 編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。