祈りの霊 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:17 絶えず祈りなさい。(18節)あらゆることで感謝しなさい。な ぜなら、これがあなたがたに対する、キリスト・イエスにある神のみこころだか らです。 (19節)その霊を消してはいけません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主との交わりには、あなたと主との間のいかなる妨げも許されません。もしあな たの内側に他の人を赦そうとしない思いが少しでもあるなら、この赦そうとしな い思いは、あなたと主との間で一つの障害となるでしょう。時には、障害がある のは、わたしたちの内側に少しの高ぶり、誇り、あるいは見栄があるためです。 これは、わたしたちの内側の祈りの霊を殺す要因であり、それを毒と呼ぶことも できるでしょう。驚くべき事は、わたしたちの内側の命が祈りの命であるという ことです。もしわたしが、「わたしたちの内側の聖霊の第一の機能は何ですか?」 と尋ねられたら、それはわたしたちを祈りへと導くことであるとわたしは言うで しょう。あなたがいくらか聖霊にあなたの中で地位を与え、彼に少し従うなら、 必然的に彼はあなたを祈りに導きます。他方で、あなたがその霊に少し従わなか ったり、霊を消したりすると、直ちに祈りがあなたの内側で途絶え、祈りの霊は 消え去るでしょう。こういうわけで、兄弟姉妹よ、もしあなたが祈りの人であり たいなら、あなたは神の中に住む人、自分の中で神の霊が働く余地を持っている 人でなければなりません。あなたは神の霊の中にいて、神との絶え間ない交わり を持っていなければなりません。すなわち、二つの霊が互いに流れ合っているの でなければなりません。その流れが大きければ大きいほど、あなたは一層多く祈 ります。あなたは部屋の中で祈ることができるだけでなく、あなたの中の霊が、 車の中でも、道にいても、人と話している間でも祈ることができる程度にまで流 れるでしょう。 祈りの霊は、祈りの一つの法則です。ちょうど胃の中で起こる消化が一つの法則 であるようなものです。わたしが話している間、わたしの胃は消化しています。 わたしが眠っている間もやはり消化しています。わたしが歩いているときでも、 依然として消化しています。同じ原則で、わたしたちの霊にも祈りの法則がある のです。わたしたちが霊の中で生き、その霊にわたしたちの中で地位を与えると きはいつでも、霊の中で祈りの法則にしたがって祈り続けるでしょう。この瞬間、 わたしたちの祈りは極めて自然になるでしょう。 戸を閉めて自分自身を祈りに打ち込むときだけ、それが祈りと見なされるなどと は思わないでください。それも必要であることは認めますが、祈りの人について は、その強調点は、祈りに全面的に打ち込むべきであるというのではなく、むし ろ祈りの霊に自分の中で地位を与えるということなのです。いったん祈りの霊が 地位を得ると、霊の中の祈りの法則がどんなときでも人に祈らせるのです。彼は 外側で祈っていなくても、依然として祈っているのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課(前篇)」(1984年版)第3章から引用されてい ます。いずれも日本福音書房から出版されています。