命を分け与えるために水が流れ出る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ19:34 しかし、[イエスが十字架につけられていた時] 兵卒の一人が彼の 脇を槍で突き刺すと、直ちに血と水が流れ出た。 啓示録22:1 また御使いは、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。そ れは神と小羊の御座から、大通りの中央を流れていた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の脇から流れ出た水は、キリストの死の、命を分け与える面を象徴します。水 は命を分け与えるためです。この水は「命の泉」となりました(詩36:9)。血は、 洗うための泉を形成しましたが、水は、飲むための泉を形成しました。 主イエスが、ご自身は多くの実が生み出されるために地に落ちて死ぬ一粒の麦で あると言われた時(12:24)、彼の死の、命を分け与える面を言っておられたので す。この一粒の麦が死ぬことは、贖いのためではありませんでした。それは絶対 に、元の麦粒の中にあった命を多くの麦粒の中へと分け与えるためでした。消極 面で、キリストの死はわたしたちの罪を取り除きました。積極面で、それは神聖 な命をわたしたちの中へ分け与えました。今日わたしたちが彼を信じる時、わた したちの罪は彼の贖いの死によって取り除かれます。そして永遠の命が、命を分 け与える彼の死によってわたしたちの中へ分け与えられます。 一粒の麦を考えてみてください。その命は穀粒の内側に閉じ込められています。 死によって、穀粒の中の命が解き放されます。ですから、彼の死は、命を解き放 す死でした。彼の神聖な命が彼から解き放され、わたしたちの中へ分け与えられ たからには、彼の死は命を分け与える死でした。さらに、それは命を繁殖させる 死です。なぜなら、それによって命が多くの方向に広がるからです。さらにまた、 それは命を増殖させる死であり、命の増殖を引き起こします。それはまた、命を 複製する死でもあります。なぜなら、一粒の麦が多くの麦粒の中で複製されるか らです。主のすべてを含む死のこれらすばらしい面に、わたしたちは何と印象づ けられる必要があることでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)第43編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。