過越の小羊として調べられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ19:6 祭司長たちや下役たちは彼を見ると、叫んで、「十字架につけよ!  十字架につけよ!」と言った。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが彼を引 き取って、十字架につけるがよい。わたしは彼に何のとがも見いだせないからだ」。 出エジプト記12:5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。…… (6節)……そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主はご自身の威厳の中で人類によって調べられ、過越の小羊が調べられるように 調べられました。主イエスは過越の日に、過越の小羊として十字架につけられま した。予表によれば、過越の小羊は殺される前に調べられて、傷があるかどうか を決定しなければなりませんでした。人類がこのようにキリストを調べることは、 この予表の成就でした。ピラトは彼を調べた後、「わたしは彼に何のとがも見い だせない」と宣言しました。この過越の小羊には何の傷もありませんでした。彼 は神の民のための小羊として完全に資格づけられました。主イエスは調べられた 後、この完全な方は、人の不正の中で判決を下されました。この不正な判決は、 宗教の盲目と政治の暗黒を暴露しました。 何年も前、わたしはユダヤ人が過越の期間、どのように小羊をほふったかを記述 している記事を読みました。その記事は、ユダヤ人が二本の木の棒を取り、十字 架を作ったと述べていました。彼らは小羊を十字架上に置き、小羊の二本の足を 十字架の足元に結び付け、広げた足を横木に結び付けました。次に、小羊をほふ って血がすべて流れるようにしました。ですから、過越の小羊を殺すことは、キ リストの十字架刑の絵図でした。キリストの十字架刑の少し前に、ローマ政府は 十字架刑を採用して、犯罪者に死刑を執行する方法としました。これが神の主権 の下に決定され、キリストの十字架刑に関する予言は成就されました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)第42編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。