大きな祈りをする必要がある ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:9 そこであなたがたは、このように祈りなさい。天におられるわたし たちの父よ、あなたの御名が聖とされますように。(10節)あなたの王国が来ます ように。あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますよ うに。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主は言われます、「あなたがたのうちの二人が、……地上で調和一致するなら」。 少なくとも二人いなければなりません。なぜなら、これは交わりの問題だからで す。一人ではこのことを達成することはできません。一人の人が神の出口となる ことはできません。二人いなければなりません。この二人の原則は、教会の原則 であり、キリストのからだの原則です。この種の祈りは二人で祈るのですが、必 ず調和一致がなければなりません。二人は調和一致しなければならず、からだの 立場に立ち、からだの命を知らなければなりません。二人はただ一つの目的を持 っていますが、それは神に対して、「わたしたちはあなたのみこころが、天でも 地上でも行なわれることを願います」と言うことです。教会がこの立場に立って 祈る限り、どんな事を求めようとも、天におられる父が成就してくださいます。 兄弟姉妹よ、わたしたちが真に教会の立場に立ち、責任を持って神の御前でこの ような祈りの務めをする時、神のみこころがあなたのいる教会で行なわれるのが 見られるでしょう。そうでないなら、すべてはむなしいです。今日、神の力は最 も大きくても、教会の祈りの大きさになることしかできません。これは、神の力 が天で制限されていることを意味するのではありません。神の力は、天では無限 です。しかし、今日、神の力が地上でどれだけ現されるかは、教会が地上でどれ だけ祈るかによります。教会の祈る量が、神の力が現される量になります。です から、教会は、大きな祈りをし、大きな要求をすることを学ばなければなりませ ん。多くの場合、教会の祈りはとても小さいのです。平凡な問題のために祈るだ けです。これでは不十分です。今日、教会は大きな祈りをし、大きな要求をする 必要があります。教会はこのような豊かな神の御前に来ているのですから、小さ な祈りや小さな要求をすることはできません。教会はこのような豊かな神の御前 に来ているのですから、大きな事が起こらなければなりません。神の御前での教 会の容量がこの程度でしかないとしたら、神の力の現れが制限されます。教会は、 神を現す大きな祈りを必要とします。これが教会の務めです。わたしたちが教会 の祈りの責任を見るとき、わたしたちの祈りが十分に大きくないことを見るでし ょう。わたしたちは神を制限しており、神の働きを妨げています。教会はその義 務を放棄しています! これは何と悲しむべき状態でしょう! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第22巻「教会の祈りの務め」(1996年版)第1編から引用 されています。いずれも日本福音書房から出版されています。