調和一致はキリストのからだの中にある ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ18:18 まことに、わたしはあなたがたに言う。あなたがたが地上で縛る ものはすべて、天で縛られていたものであり、あなたがたが地上で解くものはす べて、天で解かれていたものである。(19節)また、まことに、わたしはあなたが たに言う。あなたがたのうちの二人が求めるどんな事でも、地上で調和一致する なら、それは天におられるわたしの父によって成就される。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― この真理(調和一致に関する祈り)には、二つの面があります。一つの面は、どん な事に対しても調和一致していることであり、もう一つの面は、どんな事に対し ても祈ることです。わたしたちは必ず神によってこの点にまでもたらされなけれ ばなりません。クリスチャンの調和一致は、キリストのからだの中にのみ見いだ すことができます。その他のどこにも見いだすことはできません。調和一致は、 キリストのからだの中に見いだされるものです。ただキリストのからだの中にの み、争いがありません。ただキリストのからだの中にのみ、調和一致があります。 わたしたちの天然の命が主によって対処され、何がキリストのからだであるかを 真に認識する点にまでもたらされるなら、わたしたちは調和一致の中にあるでし ょう。その時、わたしたちが一つになって祈るなら、わたしたちの祈りは調和一 致の中にあるでしょう。わたしたちが調和一致の立場に立つとき、わたしたちが 行なうことは、調和一致の中にあるでしょう。わたしたちの見ている事において 調和一致する時、わたしたちは神のみこころの代弁者となることができます。 教会の祈りの務めとは、地上での祈りが天における行動という結果になるもので す。兄弟姉妹よ、わたしたちは覚えておかなければなりませんが、マタイによる 福音書第18章のこの種の祈りは、決して霊的養いの祈りに含まれるものではあり ませんし、個人の祈りに含まれるものでもありません。多くの時、あなたは個人 的必要のために神に求めることができます。神も祈りに答えて、あなたの求める ものを与えてくださいます。個人の祈りには地位があります。多くの時、あなた は神を近くに感じます。主に感謝します。霊的養いの祈りにも、神は聞かれます。 これらすべてを軽んじることはできません。しかしながら、わたしたちはまた見 なければなりませんが、祈りはただ個人のため、霊的養いのためだけではなく、 務めと働きのためでもあるのです。この祈りは、地上における教会の務めであり、 教会の働きです。すなわち、祈りは、教会が神の御前で負うべき責任です。教会 の祈りは、天の出口です。教会の祈りとは、神が一つの事を行なおうとする時、 教会が地上であらかじめそのために祈り、その事を地上で実現させるようにし、 神の目的が達成できるようにさせるものです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第22巻「教会の祈りの務め」(1996年版)第1編から引用さ れています。いずれも日本福音書房から出版されています。