神の益のために祈る(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:9 そこであなたがたは、このように祈りなさい。天におられるわたし たちの父よ、あなたの御名が聖とされますように。(10節)あなたの王国が来ます ように。あなたのみこころが天で行なわれているように、地でも行なわれますよ うに。(11節)わたしたちの日ごとのパンを、今日も与えてください。(12節)わた したちが自分に負債のある者を赦したように、わたしたちの負債も赦してくださ い。(13節)わたしたちを試みに遭わせないで、悪しき者から救い出してください。 それは、王国と力と栄光とが、永遠にあなたのものであるからです。アーメン。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 標準に達している祈りとは、人が自分自身のために、または他の人々のために祈 るのではなく、神のために祈るものでなければなりません。罪人が救われるため に、または兄弟姉妹が復興されるために祈る時でさえ、わたしたちは神のために 祈るべきです。聖書の中には、そのような祈りの実例が多くあります。例えば、 ダニエル書第9章でダニエルは、自分のためではなく、「あなたご自身のために」 (19節)、神が自分とこの民の言う事を聞いてくださり、恵み深くあられるように と、祈りました。 祈りの最高の意味は、神がそれによってご自身の権威と益を獲得される手段であ るということです。見たところ、あなたは多くの人のため、多くの事柄のため、 あなた自身のために祈っているかもしれません。しかし、あなたは物事の根本に 行き、次のように言うことができなければなりません、「おお、神よ、これらす べての祈りはあなたのためです。わたしの祈りが答えられるかどうかは、あまり 意味はありません。しかし、これらの物事におけるあなたの権威と益はとても重 要です。ですから、わたしはこれらの人々、出来事、物事のために祈っています が、実はわたしの祈りはあなたのためなのです」。 どうか主が御血でわたしを覆い、わたし自身の経験から分け与えることを許して くださいますように。わたしは物質的な物や必需品に事欠いたことが何回となく ありました。これらの事について祈り始めると、すぐにわたしはテストされまし た。わたしが神の御前にひざまずくと、内側に問いかけがありました、「あなた は自分自身のために祈っているのですか、それとも神のために祈っているのです か?」。内側にそのように問いかけがある時はいつも、わたしは神の御前にひれ 伏して言いました、「おお、神よ、もしそれがわたし自身のためだとしたら、わ たしがたとえ貧困と飢えで死んだとしても、それはあまり重要ではありません。 しかし、あなたの権威と益に関係があります。わたしは何か物質的な物をあなた に求めていますが、それはやはりわたし自身のためではなく、実はあなたのため なのです」。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課(前篇)」(1984年版)第2章から引用されてい ます。いずれも日本福音書房から出版されています。