祈りは神と人との混ざり合いである(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:27 心を探られる方は、その霊の思いが何であるかを知っておられます。 なぜなら、彼は神にしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。 エペソ6:18 すべての祈りと願い求めによって受け取りなさい。どんな時にも霊 の中で祈り、すべての聖徒のために根気と願い求めの限りを尽くし、このために 目を覚ましていなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちはもう一度、ローマ人への手紙第8章27節を見てみましょう、「その 霊は……神にしたがって……とりなしてくださる」と言っている節があります。 これは、聖霊が神にしたがってわたしたちの中で祈られることを意味します。す なわち、神は彼の霊を通してわたしたちの中で祈られるのです。ですから、その ような祈りは、確かに神ご自身を表現するだけでなく、神の意図をも表現するの です。 真の祈りは、確かにわたしたちの存在を神と全面的に混ざり合わせます。わたし たちは、両当事者から成る一人のパースン、すなわち人と混ざり合わされた神と なるでしょう。あなたが祈るとき、それは彼が祈っておられることです。彼が祈 られるとき、それはあなたが祈っていることでもあるのです。彼があなたの内側 で祈られるとき、あなたは外側でその祈りを言い表します。彼とあなたは、内外 共に全く一つです。彼とあなたとの両者は、同時に祈ります。その時、あなたと 神とは一つに混ざり合わされていて、分離することはできません。そうしてあな たは神と協力するだけでなく、神と共に働きます。それは、神ご自身と彼の願い があなたを通して表現されるためです。こうして究極的に神の目的が完成するの です。これこそ聖書の中でわたしたちに要求されている真の祈りです。 ですから、ユダの手紙20節は「聖霊の中で祈り」と言います。これは、あなたが 自分自身で祈るべきではないという意味です。言い換えれば、それはあなたの祈 りが両当事者の表現であるべきであって、あなたと聖霊が一つになって祈ってい るということです。エペソ人への手紙第6章18節は言います、「すべての祈りと 願い求めによって……どんな時にも霊の中で祈り」。ここの霊が聖霊のことだけ を指していると言うのは困難です。正統な見解から聖書を読むすべての人は、こ この霊は単に聖霊のことを指しているだけでなく、それはまたわたしたち人の霊 をも含んでいることを認めています。わたしたちが祈る時、そのような混ざり合 わされた霊の中で祈らなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課(前篇)」(1984年版)第1章から引用されてい ます。いずれも日本福音書房から出版されています。